今日のみ言葉【No.678】(2013年10月21日)
「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」
(列王紀下13:14)
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ある体育系部活動が盛んな男子高でのお話。
腕に覚えのある1年生ばかりですから、どっちが強いか上かで衝突し、入学早々ゴタゴタが絶えません。
ベテランの先生に伺うと、
「お互いの力関係が分からないからですよ。なあに、6月に入れば落ち着きます。」
その理由は?と尋ねると、
「その頃になると、『あいつは野球部の○○先輩の配下、こいつはサッカー部の××先輩の配下…』と、バックにいる人たちのことが分かってくるからです。」
というお答え。
背後にいる人たちの力関係で自分たちの人間関係を調節するとは、大人の世界の縮図を見たような気がしました。
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今日の聖句は、イスラエルの王ヨアシが死ぬ直前のエリシャに呼びかけた言葉です。
病に倒れ、もはや何の力もないエリシャをなぜ「イスラエルの戦車」「騎兵」などと強大な武器にたとえて表現したのでしょう?
それは、エリシャ自身には肉体的力はなくとも、彼の背後にいらっしゃる神の力を認めていたからです。
私たちに何の力がなくとも、私たちの背後に神がおられる時、周りの人々が動かされていくのです。
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私の家内は
「お米は与えられるもの」
という堅い信仰を持っています。
「主に仕える者は主によって支えられる」
と信じて疑わないので、米が無くなる前に買うことはしません。
ですから私は何回
「あなた、このご飯が最後です。お米はなくなりました。」
と食事中に聞かされたか知れません。
唖然(・0・)、として私が彼女の顔を見ていると、
「大丈夫、必ず与えられますから」
と素知らぬ顔。
不思議なことに、その日の午後、米を持って訪問して下さる人がいたり、宅急便でお米が届けられたり…。そんなことが一度や二度ではありません。
もちろんお米が与えられず、1週間パンと麺類で過ごした時もありました。
私は、それ見たことか、という顔で家内を見るのですが、
「不思議ねー、今回は買えということかしら」
と、彼女の確信は全く揺るぎません。
私がこのような話を吹聴して回るので、皆さんの同情が集まり、お米がたくさん与えられて長期間保つ…、というのではありません。
誰にも知らせていないのに、お米が無くなった当日、ドンピシャに与えられるのです。
家内が信じる神様が彼女の背後におられ、神を信頼する信仰によって神様がどなたかの心を動かしてお米を届けさせる…。
私もようやくそのように信じられるようになってきました。
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私たちの背後に神がいらっしゃることを信じ、安心して一日を送って参りましょう。
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