今日のみ言葉【No.500】(2013年 2月 5日)

あなたはまた十枚の幕をもって幕屋を造らなければならない。すなわち亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出さなければならない。
(出エジプト記26:1)

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私は豪雪の地、米沢生まれの米沢育ちなので、雪国の生活を実地で生きてきた体験があります。

雪の降らない土地の人が大雪のシーンをニュースなどで見ると、

「とてもこんな所では恐くて暮らせない」

と思われかもしれませんが、意外とそうでもありません。

雪にすっぽり埋もれると、雪が断熱材の役割を果たし、家の中は案外寒くないものです。

かまくらの原理と同じです。

また、雪の中に突っ込んで車が動けなくなっても、見ず知らずの人たちがすぐ助けに来てくれます。

皆、同じような体験をしているので、助け合いの精神が身についているからです。

外側の雪の寒さの中で、内側の心の暖かさが養われているのです。

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今日の聖句は、イスラエルが荒野で天幕(テント)を張って生活している時、その中に神が住まわれる幕屋の内部の描写です。

「亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸」

等の色とりどりの糸を使って、

「ケルビムを織り出さなければならない」

とありますから、今で言う

「天使の姿を織り出したタペストリー」

で飾られていたわけです。

幕屋の中は大変美しかったことでしょう。

しかし、その外側は他のテントと同じでした。

なぜなら、荒野という厳しい自然条件の中では、外部には美しさよりも実際的な要素を必要としたからです。

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私たちも現実の生活の厳しさにさらされ、外側は現実的、実務的にならざるを得ません。

つまり、何事も手際よく、あまり感情を交えず、能率的にテキパキと…、です。

たとえ外側は神の幕屋と同じように、荒仕上げであったとしても、内側の心は美しくありたいものです。

その秘訣は、常に本物に触れていることです。

私たちの内側に本物が養われていくと、そこに本物しか発し得ない魅力が生み出されていくのです。

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Nさんは本物志向のパン職人です。

材料に気を遣い、自然酵母を使い、無添加のパンを焼いておられます。

おいしさは折り紙付きですが、保存料を使っていないので日持ちしないことと、他のパンより値段が高いので、当初なかなかお客様は手に取ってくれなかったようです。

ある日私の家内が近くの直売所でNさんのパンを手に取りました。

「あれ、カビが生えてる!」

彼女はそっとカビの面が下に来るようにして元に戻しました。

「これは回収ね。保存料無しだからしょうがないけど…」

と思っていると、そばにいた主婦がそのパンを手に取り、

「あれ、カビが生えてる!」

と全く同じ言葉を言いました。

しかし、その次に、

「だから本物なのね〜」

とつぶやき、なんとそのカビ付きのパンを買って行かれたのです。

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本物には本物しか出せないものがあるのです。

それがカビという一見ダメな物という形をとって現れることがあります。

しかし、本物を目指し、本物しか出ないものを出していると、やがてその本物を求める人との出会いがあります。

人が忌み嫌うカビが出ることが本物の証しなのです。

むしろ、本物を目指せば目指すほど、自分の至らなさや欠点が目についてどうしようもないものです。

しかし、自分はだめだなと思う必要はありません。

そのカビがあるからこそ、もう一人の本物の人との出会いがあるからです。

その人はあなたがカビだと思っている部分を見て、

「素晴らしい。これがあるから本物。」

と言ってくれる人であり、他より高くても買ってくれる人なのです。

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あなたを買って下さるイエス様との出会いが今日もありますように…。