今日のみ言葉【No.343】(2012年 7月 4日)

そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
(第1コリント1:21)

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あるおじいさんが、どんなに理論を説明されても堅くキリスト教を拒んでいました。

ところが、可愛い孫の

「一緒に天国に行けないなんて悲しい」

という一言に心揺さぶられ、後に洗礼を受けられた、という実話があります。

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今日の聖句の「宣教の愚かさ」とは十字架のことです。

ユダヤ人にとって、十字架について殺される救い主、など受け入れることが出来ませんでした。

救い主は強い方で、ローマの支配からイスラエルという国を解放してくれる存在だと思っていたからです。

ギリシャ人にとって、神が人間の姿をとって来られた、という考えは全くばかばかしいものでした。

彼らにとって愚かなこと、十字架、が実は神の深い智恵から出たことであり、人々の目に愚かと見える伝道の業によって救いは広まっていくのです。

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毎年12月、米沢興譲教会では何百鉢もの真っ赤なポインセチアが礼拝堂を飾ります。

ご希望の方に1鉢500円で買ってもらい、クリスマス礼拝の日まで教会側がそれをお借りして、クリスマスの装飾に使わせていただくのです。

その後、ポインセチアはもちろんお持ち帰りいただきますが、一人暮らしの高齢者のお宅や福祉施設へのプレゼントとして献品したい方は、そのまま教会にお残しいただきます。

教会も飾られ、ご自分も安く買え、クリスマスプレゼントとしても用いられるという素晴らしいアイディアです。

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ところで、ここに神様の不思議な算数があります。

用意したポインセチアは町の花屋さんで千円以上の値が付けられる立派なものです。

実は仕入れ値は700円。

教会ではそれより200円安い500円で購入していただきます。

1鉢に付き200円のマイナスですから、売れば売るほど損をすることになります。

商売でこんな愚かなことをしてはなりません。

ところが、毎年赤字にならないのです。

なぜかは分かりません。教えてもらいたいほどです。

しかし、払う方も、もらう方も、届ける方も、みんなニコニコ顔になる不思議な業です。

神様は人々の魂に働いてくださる方なのです。

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今日も神の愛の業に励んで参りましょう。