今日のみ言葉(2012年 4月27日)【No.296】
すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。
(ヨハネ19:30)
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「すべてが終った」という語は、原語で「テテレスタイ」といいます。
これは商業用語で、「支払い完了」という意味です。
十字架で息を引き取る直前の最後の言葉がこの「テテレスタイ」、すなわち、
「あなたの負債は全部私が支払った。支払いは私の命で完済した。」
とイエス様は宣言されたのです。
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罪は必ず償いを要求します。
交通違反をしたら反則金を納めなければならないのはその一例です。
罪は何ものかの犠牲でもって償わなければ消えないのです。
しかし、今日の聖句は、その罪の支払いが完了したというのです。
そのことを信じ、イエス・キリストを罪からの救い主と信じた者がその罪の許しを得、罪の負債がすべて支払われた軽やかな人生を送ることが出来るのです。
いつ終わるとも知れぬ支払いを続けるのではなく、完済してもらった恵みの中で感謝の応答の生活を送るのがクリスチャンの生活です。
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そのことをなかなか信じられないクリスチャンがいました。
彼女は小さい頃に、近所の駄菓子屋さんでガム1個をそっと持ってきたという記憶があったのです。
ガム1個といえども盗みは盗み。
彼女は「神様、でも私は赦されているんですよね」と祈ったところ、神様の声が聞こえてきました。
「お前はあのお店に謝りに行かなければならない」
彼女はかなりの葛藤をしましたが、覚悟を決め、花束を持って、二十数年前に通った駄菓子屋さんを訪ねる決心をしました。
「あれから何十年もたっているのだから、お店をやめて、引っ越しているといいな…」
しかしお店は以前の通りそこにありました。
意を決して飛び込んだ彼女は、あのやさしいお店のおばちゃんと顔を合わせました。
「○○です。実は今日はお詫びに参りました。小さい頃、ガム1個をくすねたことがあって…」
と語ったところで、お店のおばちゃんが
「あらーっ、○○ちゃんでないの!大きくなったねぇー。そんなことはまず良いから、上がってお茶飲んでいけ!」
と家の中に招き入れられ、お茶のみ話をし、楽しい時を過ごしました。
彼女は帰る時に、本当に自分の罪は赦されたのだと実感したということです。
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支払いは既に完了したという恵みを確かなものにして参りましょう。
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