今日のみ言葉(2011年6月16日)【No.88】
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」
(マタイ5:9)
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平和を作り出す人とは、自分自身の中に平和を持っている人です。
自分の心が乱れて嵐のようになっているのに、人に平安を届けることなどできないからで
す。
しかし、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」という故事成語がある如く、
自分の心を治めることは至難の業です。
どうしたら自分を平安に保てるのでしょうか?
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人は不安を解消するためには問題解決が一番だと考え、そのように行動します。
お金が足りなければ節約したりお金を稼ごうとし、成績が足りなければ勉強して点数を上
げようとします。問題がなくなれば安心になる、と考えるのです。
しかし、生きていく上で問題が尽きることはありません。次々と問題が襲ってくる中で、
あなたの中の平和がどんどん消耗され、逆に不安がどんどん貯められていきます。
やがて自分が抱えられる限界を越えると、
「苦労するのは私ばっかり!」
と爆発したり、
「もういい。なるようにしかならない…」
と放ったらかしにして、誰かがあわてて気づいて直してくれるのを待つ、という消極的復
讐をするようになります。
平和を作り出すピースメーカーならぬトラブルメーカーになるのです。
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今日の聖句が語ることは、平和を作り出す人は神の子と呼ばれる、ということです。
世の人々が「あの人は神様の子のようだ」とピースメーカーを称える、ここにヒントがあ
ります。
神の子となればよいのです。
それは、自分の罪を認め、キリストが十字架でその罪を全て肩代わりされたと信じること
によってなされます。私たちは罪なき者と神の前に認められ、心おきなく生きることがで
きるのです。
キリストが差し出す平和とは、「あなたは誰からもとがめられてはいませんよ」という平
和なのです。
平安を持とうと思ってもできずに、逆にトラブルメーカーになってしまうその自分が、
「それで良し」
とされているということです。
人に迷惑をかけることを勧めているのではありません。そうしないように自制してもそう
してしまう人間の心を、キリストの十字架の故に神は受け入れ、再スタートのチャンスを
毎日与えて下さっているということなのです。
平和でいられない自分でいて良い、と神からの平和が与えられ、人間はそこで初めて自分
自身と和解でき、自己との調和が得られます。
グラグラと揺れてもいいのです。
「ぐらぐら、ふらふらするのが私だ。その私がそのままで愛され、赦され、生かされてい
る。」
という十字架の赦しの恵みにいつも立ち返ることが平和の中にいる鍵です。
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<< 祈 り >>
「神様、このままの私でいていいはずはないのです。放っていたらまた同じ過ちを繰り返
す私です。でも、今日、その私が赦されていることに気づきました。自分をそのままで赦
し、神様にこれからを委ねることはまだ恐いですけど、まずその一歩を踏み出します。ど
うぞ導いて下さい。」
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平和の神を受け入れ、今日も平和をつくり出す者として歩ませていただきましょう。
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