今日のみ言葉【No.614】(2013年 7月22日)

早くペリシテびとの地へのがれるほかはない。
(サムエル記上27:1)

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今日の聖書の個所はダビデの暗黒面を記しています。

現実に身の危険が迫ると、今までの神の恵みと助けなど忘れてしまい、一目散に保身に走ってしまったダビデの人間的弱さの部分です。

そこには正義も理念もありません。

他者を犠牲にして我が身を守り、その場限りの発言や嘘、ぶれにぶれる罪人としてのダビデの姿が描かれています。

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ダビデは何をしたのでしょう?

彼は何と敵のペリシテに身を寄せたのです。

それは追ってくるサウル王から逃れるためでした。

その甲斐あってサウルはダビデを捜すのをやめました。

しかしダビデはその代償を払わなければなりませんでした。

自分がペリシテの敵ではなく、忠実な家来であることを示す、という演技をしなければならなかったのです。

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ダビデの目は神から離れてしまいました。

その瞬間から彼は不安の虜になり、帆を失った船のように風の吹くまま右や左に迷走する時を送るようになったのです。

現実に身の危険が迫ってきた時、私たちも手近なところに安泰を求めます。

ダビデと同じだな、と示された時は、まず、

「そうなる自分もダビデと同じように神に愛されているのだ」

と、しっかり自分に言い聞かせることが第一です。

そして、

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」
(詩篇46:10)

の御言葉を思い起こすのです。

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自分の行動を直すのは二の次。手早く悔い改めるなどもってのほかです。

神から離れた目では、正しい方向に焦点を合わせることは出来ません。

行動を直したつもりで、実はまた見当違いな方向に梶を切っていることが多いものです。

まず、神の愛は変わりないことに注目するのです。

「このままではダメだ」

ではなく、

「このダメな私でいいのだ。これで愛されているのだ。」

と神の愛に目を向けることが真の悔い改めです。

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神の恵みを忘れる私を愛される神様に目を向けて参りましょう。

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