今日のみ言葉【No.3225】(2023年11月17日)「律法学者への叱責(1)」

そこで言われた、「あなたがた律法学者も、わざわいである。負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。
(ルカ11:46)

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昔々、応用化学科の実験で学生がスポイトから1滴、薬液をこぼしてしまいました。

「ああ、しまった!実験全部やり直しだ!」

と嘆くと、指導する教官が、

「ああ、それくらいは誤差の範囲だからそのまま進めなさい」

と言います。

確かに品質管理の授業で習った有意誤差の理論からすると、全体に影響はない量です。

ところが、全く誤りのない無謬性(むびゅうせい)を追求する仕事をする人たちがユダヤにいました。

律法学者たちです。

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パリサイ人への叱責を聞いて、その場にいたひとりの律法学者が怒りをあらわにしました。

「先生、そんなことを言われるのは、わたしたちまでも侮辱することです」
(ルカ11:45)

律法学者とは律法を写す書記のことです。

写本を作る人ですから、原本と寸分違わぬものを作り出すため、仕事に正確性が求められます。

当然、律法について詳しく知っています。

現代の企業で言えば、精密機器を作る会社の品質管理部門の人たちのようなものです。

あそこはどうだ、ここはどうだと、まるであら探しをするようにして製品の完全性を目指し、一歩も譲りません。

この律法学者のほとんどはパリサイ人でした。

ですから、パリサイ人への叱責は自分たちに言われたことと同じと思って、イエス様に反論したのです。

「身を粉にして、まじめに、誠実に神と人とに仕えているのに、その言い方は何だ!」

という思いで叱責の言葉を聞いていたのだろうと想像されます。

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イエス様は律法学者たちに向かって、

「あなたがた律法学者も、わざわいである。負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない」
(ルカ11:46)

と、パリサイ人に対してと同様、「わざわいだ」と非常に強い口調で非難しました。

「負いきれない重荷」とは、実行不可能な口伝律法のことです。

これはモーセの律法を守らせるために、人間が作った細かい取り決めです。

実行するのが非現実的な決まりを人々に教え、実行可能になるような助けは何一つ与えない。

これが律法学者たちが実際行っていることではないか、とイエス様は明らかにされたのです。

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非現実的な「正しさ」を人にも自分にも要求し、人を苦しめたり、自分も苦しんだりしていることがあります。

イエス・キリストの言葉から、正しい道を教えていただく今日として参りましょう。

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