今日のみ言葉【No.947】(2015年 1月 5日)

われらに賜わるそのいつくしみは大きいからである。
(詩篇117:2)

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「日本人は、水と安全はタダだと思っている」

1970年代に一世を風靡した書『日本人とユダヤ人』で、イザヤ・ベンダサン(故・山本七平氏)が放った言葉です。

確かに私たちは「湯水のように使う」という表現のごとく、あるに任せて水をどんどん使っています。

こんな国民は全世界でも非常に珍しいのです。

それだけ日本という国土は水と自然に恵まれています。

ただし、あるのが当たり前に感じているので、水のありがたみを知る機会がほとんどありません。

あるのが当たり前の社会では、あえて意識的にその恵みを探さなければならないのです。

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詩篇第117篇は僅か2節の短い詩篇です。

その短さ、小ささとは対照的に

「もろもろの国よ、主をほめたたえよ。」
(詩篇117:1)

と全世界の国民が神を賛美せよ、と命じるスケールの大きさがあります。

その命令の根拠となっているのが、今日の聖句です。

「われらに賜わるそのいつくしみは大きいからである。」
(詩篇117:2)

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ただ、水があまりにも豊富にあり過ぎるのでその恵みが実感できないように、神のいつくしみもなかなか実感できません。

また、あまりに大きな試練のただ中にある時は、それに妨げられて神のいつくしみが見えません。

しかし、神が「いつくしみは大きい」と語っているのですから、いつくしみを感じない人はそれを探さなければなりません。

必ず身近にあるのです。

「無い」のが「有る」と見えるようになって、真っ暗闇から快晴の青空への大転換…、とまでは行かなくても結構です。

全く逆方向の180度の転換とまで行かなくとも、たった1度の転換でもいいのです。

99%の闇の中に1%の神のいつくしみの光が見いだせれば良いのです。

小さなローソクの光でも、光は暗闇を追い出してしまうからです。

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ある時、カンカンに怒った人の相談を受けたことがあります。

あいつが悪い、謝罪しろ、の一点張りです。

ある程度お話を伺った後、彼に質問してみました。

「私は第三者ですから客観的に見ようとします。100%相手に原因があるというのは現実的ではありません。喧嘩両成敗という言葉もあることですから、もしかしたら五分五分とは考えられませんか?」

すると彼は一層いきり立って、

「そんなことがあるはずがない、100%は無いにしても、9対1です!」

と言ってきたので、私はすかさず

「なるほど、大部分は相手のせいですが、あなたの責任も1割あるという事ですね。」

「では、その1割の部分、こちら側から相手に謝罪することを考えましょう。それであなたは完全に責任を果たしたことになります。それが終われば100%相手が悪いことになります。」

彼は目を白黒させていましたが、やがて、

「まあ、僕も言い過ぎた点はあったかもしれません。でもそんなの10%ですよ。悪いのはあっちですからね!」

とブツブツ言いながら、しかし、自分の側の責任を果たせば心置きなく相手をやっつけられると思ったのか、素直に私の言葉に従ってくれました。

さて結果はどうなったでしょう?

彼は相手と和解しました。

「いやあ、僕が悪かったんですよ。すいませんでした。」

と言って相手と握手している姿がそこにありました。

1度でも方向が変われば、それが2度、3度、10度、60度…、と角度が変わっていきます。

見る角度が変わるその途中、見える風景も変わってきます。

つまり、今まで見ようとしなかった相手の部分や心の動きが、自然と目に入るようになってくるのです。

そして彼の場合、ついに180度の大転換となりました。

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神のいつくしみが見えないあなたで良いのです。

そこからスタートしましょう。

そして、あり余る量の水の中から、ほんの1滴が見えるように探し出すのです。

そこから

「われらに賜わるそのいつくしみは大きい」

と賛美する人生が始まります。

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