今日のみ言葉【No.610】(2013年 7月17日)
ダビデが重ねて主に問うたところ、
(サムエル記上23:4)
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今日の聖句は、ダビデがケイラの人々を助けに行くかどうか、主に2度目に祈ったところです。
無理もありません。彼らの数は僅か400人。しかもサウル王の追跡から逃げている状態だったからです。
「われわれは、ユダのここにおってさえ、恐れているのに、ましてケイラへ行って、ペリシテびとの軍に当ることができましょうか」
(サムエル記上23:3)
このように進言する部下の言葉の方が現実をピタリと言い当てているように思えます。
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しかし神の言葉は、
「行ってペリシテびとを撃ち、ケイラを救いなさい」
でした。
客観的に見ても不利。自分の力にも自信のないダビデは、
「重ねて主に問うた」
のです。
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神の言葉に従おうとする時、聖書の御言葉の約束に立って生きようとする時、不安や迷いを覚えない人はいません。
そのような人は例外なく祈りに導かれます。
そして
「神様、本当にこれでいいのですか?」
と何度も重ねて祈らざるを得ない心境を体験します。
自分に自信があり、自分の判断で物事を進める時には、このように祈ることはないでしょう。
しかし、ダビデに語られた御言葉は、彼の現実からは考えられないことであり、もしその通りにしたらと考えると、我が身の破滅しか予想できないことだったのです。
ですから、
「神様、本当にこれでいいのですか?」と「重ねて主に問うた」のです。
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何度も重ねて祈る経験が無いとしたら、それはまだ本格的に御言葉と格闘したことがないということです。
ご安心ください。その時は必ず訪れます。
人生の節々で、重大な決断を迫られる時、必ず
「重ねて主に問う祈り」
を祈らされます。
なぜなら、その多くは、自分の思いを捨てなければ実行できないことだからです。
結婚、就職・転職、役職を引き受けること、引っ越し、入院・治療、介護、学校や子供の問題等々…。
ようやく安定した今の現実から再び波乱の中に身を投じなければならないと考えるだけで、身にも心にも痛みを覚えるものです。
その痛みがあなたを祈りに向かわせます。
そして、自我に死に、自分を主に明け渡す人生へとあなたを向かわせるのです。
神があなたを本格的に用いられるのは、その時からです。
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重ねて主に問うほどに御言葉に真剣に立ち向かっているでしょうか?
我が身を省み、主の許しの恵みの中で、新たな一歩を踏み出す一日として参りましょう。
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