今日のみ言葉【No.2947】(2022年11月12日)「ハガルとイシマエル(2)」

神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。
(創世記21:19)

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ルビンの壺という有名な錯視画像があります。

真ん中に白い壺が描かれた図形ですが、黒い方に注目すると、向き合った二人の顔の図形が浮かび上がってきます。

下の画像では向き合った二人が立っている姿が4人ほど見えるでしょうか?

mikotoba.org/wp/wp-content/uploads/2022/11/optical_illusion.jpg

これらの人たちは後から急に現れたのではなく、最初から視界の中に入っていて見えていたはずです。

しかし、見慣れた物のほうが見えていて、人の姿は見えていなかったのです。

ハガルは悲観的未来の方ばかりが見えて、目の前にある神の備えが見えていませんでした。

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死を覚悟したハガルに、神はこう語られます。

「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない」
(創世記21:17)

これは、母から離されたイシマエルの泣き声を神が聞いたからだと聖書は語ります。

神の助けが見えない中で絶望し、あなたが祈りをやめてしまっても、誰かの祈りによって神は動いてくださるのです。

従って、誰かのためにとりなしの祈りを続けることは重要です。

そして神は、イシマエルはここで死ぬことはなく、

「彼を大いなる国民とするであろう」
(創世記21:18)

との約束をハガルに思い起こさせます。

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平安を取り戻したハガルに変化が生じます。

それが、

「神がハガルの目を開かれた」
(創世記21:19)

ということです。

なんと、

「彼女は水の井戸のあるのを見た」
(創世記21:19)

のです。

神様が奇跡を行って、瞬間的に井戸を作られたのでしょうか?

いいえ、違います。

井戸はすでにあったのです。

皮袋の水が尽きたことで、もう終わりだと思ったハガルの目には、

「ダメ、無理、できない、不可能、最悪」

等の否定的要素しか目に映らなかったのです。

井戸は最初からありました。

神の備えはすでにあります。

しかし、見ようとして探してみて、見つからない失望を何度も味わうと、人間は探してみようとする気力も失せてしまい、

「最初から無いのだ。求めるだけ無駄なのだ」

と自分に言い聞かせ、生きるエネルギーを消耗しないように守りに入るのです。

しかし、もう一度申しあげます。

井戸は最初からありました。

神の備えはすでにあります。

「彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた」
(創世記21:19)

これが神様が私たちに贈られる現実です。

神の約束は私たちの思いとは関係なく、必ず果たされるのです。

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神様が私たちの目を開いてくださるよう、祈る今日としてまいりましょう。

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Posted by maruyama