今日のみ言葉【No.3210】(2023年10月30日)「生活の処方箋(86)『光を見出す』」
三日の間、人々は互に見ることもできず、まただれもその所から立つ者もなかった。しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった。
(出エジプト10:23)
——————
一度の人生を豊かに生きる人と、生かし切れない人の分かれ目はどこにあるのでしょうか。
あなたは次の3種類の人をどう思いますか。
第1は、無自覚・無能力。
自分は不十分であることに気がつかない人です。
もう少し積極的に言うならば、人生は無尽蔵の祝福世界であることに気がつかない人です。
第2は、自覚・無能力。
自分の不十分さに気づく謙虚な人です。
しかし、あまり突き詰めすぎて、
「結局、やってもダメ」
とあきらめのツボに落ちてしまうこともありますから、心しなければなりません。
第3は、自覚・有能力。
自分に力があることがわかる人。
しかし、わかっていても活用しない人がいらっしゃるものです。
だれにでも、必ずその人にしかないチャンスがあります。
それを見出して生かし切ることこそ、人生の醍醐味ではないでしょうか。
困難だからこそ、小さな光をも逃さないで人生を前向きにとらえていきたいものです。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
-*-*-*-*-*-*-
神が最初に創造されたのは「光」です。
「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」
(創世記1:3)
ですから、神を信じる人には必ず光があります。
出エジプト記で神はエジプトの王パロに暗闇の災いを下し、
「三日の間、人々は互に見ることもできず、まただれもその所から立つ者もなかった」
(出エジプト10:23)
となるくらいの濃い暗闇に包まれました。
しかし、
「イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった」
(出エジプト10:23)
とあります。
神は、神に目を向け、神以外に救いはないと信頼する者に必ず光を注いで下さるのです。
いいえ、すでに光は注がれています。
あなたが「ある」と信じて見出そうとする時、すでに光に照らされていた自分であったことに気づくのです。
-*-*-*-*-*-*-
光を持ち続け、明治・大正・昭和を生き抜いたクリスチャン歌人に窪田空穂(うつぼ)がいます。
彼は明治37年に植村正久牧師より洗礼を受け、他のキリスト教に影響を受けた文学者たちとは違い、最後まで神を信じていました。
彼は植村牧師の説教を聞いた時、
「一条の光のようにわたしの胸にさし込み、私の前途をさえぎっている壁を突き破り、暗きが消えて、にわかに明るくなった」
という体験をしています。
晩年に詠んだ歌を紹介します。
「神は愛と 聴くうれしさよ 命死なめ 父の愛もて 神のおわすか」
天に召される3年前の87歳の時
「最後(おわり)まで 試練(こころみ)にあはせずと いふ声を わらは心耳(しんじ)の 奥に聴きにき」
(『日ごとの糧としての逸話365』、高野勝夫編著、神戸キリスト教書店、P37)
亡くなる5日前の絶筆の歌
「四月七日 午後の日広く まぶしかり ゆれゆく如し ゆれ来る如し」
-*-*-*-*-*-*-
神の光に包まれる今日として参りましょう。
-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-
□ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ □
■メールマガジン「今日のみ言葉」
■発行責任者:山形ジョイフルチャーチ 丸山芳浩
■ご意見ご感想は、 maruyama@mikotoba.org までどうぞ
■Webサイト mikotoba.org
■Youtube 丸山芳浩師 メッセージチャンネル
www.youtube.com/@joymaru
■御言葉メールの申込、停止は全て自動でなされます。下記メールアドレスに件名も本文も無い空メールを送信して下さい。
☆御言葉メールをお申し込みになりたい方は
→ reg@mikotoba.org
(仮登録メールが送られますので、その中のリンクをクリックして本登録となります)
★御言葉メールを停止したい方は
→ del@mikotoba.org
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません