今日のみ言葉【No.335】(2012年 6月25日)

ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。
(ローマ9:16)

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アメリカに留学するために、TOEFL(トーフル)という英語の試験である程度以上の点数を取らなければなりませんでした。

そうでなければ望みの神学校に入ることは出来ません。

勉強したつもりでしたが、準備の期間も限られていましたし、内容が難しいので嫌々やっていたというのが本当のところです。

日本を離れることに無意識の抵抗もあり、決して真面目に取り組んでいたとは言えません。

試験中は時間との闘い。

後で送られてきた結果は、563点。意外なことに合格でした。

私はこの563点が「ゴク・ロウ・サン」と見えました。

神様がこんな私を選んでくださったという実感を感じた瞬間でした。

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今日の聖句は、神の選びについて語っています。

旧約聖書を読めば、自分と同族のイスラエル民族は神に選ばれていたはずでした。

しかし、イエス様を救い主として受け入れない現実にパウロは心を痛めていたのです。

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この直前の個所に、

「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』。」

とあります。

一見すると、ずいぶん自分勝手な神様のような感じがしますが、これは何ものにも左右されない神の主権と自由を表す言葉です。

そして、このことを理解するためには、パウロのように、

「こんな罪深い私が選ばれた」

という、選ばれた側として自分を考えることが鍵となります。

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マルコ福音書2章14節に、アルパヨの子レビ(後のマタイ)が弟子として選ばれるシーンがあります。

「また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、『わたしに従ってきなさい』と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。」

人々はガリラヤ湖に来られたイエス様のもとに集まって教えを聞いていたのですが、彼は収税所にすわっていたのです。

その彼のところにイエス様が来られて声をかけられたのです。

神に反抗する者が選ばれる、ということではありません。

選ばれるに値しない者が選ばれる。

これが神の憐れみです。

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神のあわれみに感謝して生きる一日として参りましょう。

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