今日のみ言葉【No.566】(2013年 5月13日)

バラクは彼女に言った、「あなたがもし一緒に行ってくだされば、わたしは行きます。しかし、一緒に行ってくださらないならば、行きません」。
(士師記4:8)

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「はじめてのおつかい」という20年以上続くテレビ番組があります。

生まれて初めて一人でお使いに行く子どもたちの奮闘ぶりを撮影した番組です。

当然のことながら、目につかない形であちこちに番組スタッフが配置され、万が一の事故がないように備えます。

ご近所の方々にも協力を依頼します。

しかし当の子供の感覚としては、全く誰からの助力もなく、たった一人で使命を遂行しなければならない、という緊張感でいっぱいです。

周りにはいつでも助ける用意のできている大人たちで囲まれているにもかかわらず、それを知らされてはいません。

その状況に飛び込んでいくことで、真の自立心が養われるのでしょう。

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士師記4章には、女預言者デボラとアビノアムの子バラクの活躍が記されています。

デボラはバラクを呼び寄せ、イスラエルをしいたげていたカナンの王ヤビンに勝利することを告げます。

「わたしは、…、彼をあなたの手にわたすであろう」
(士師記4:7)

この勝利の預言に対して、バラクが、

「あなたがもし一緒に行ってくだされば、わたしは行きます。」

と言ったことが今日の聖句のポイントです。

バラクにはこの思いがあったので、自分の手でヤビンを討つことができずに終わってしまいました。

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バラクは本当は一人で行けば良かったのです。

一人という意味は本当にたった一人でという意味ではなく、頼る存在は神のみ、という意味です。

神に全幅の信頼を置き、信ずるものはただ神の御言葉のみ、という姿勢で行くべきだったのです。

しかし彼は、デボラに一緒に行ってもらわなければ行かない、と主張しました。

「あなたがもし一緒に行ってくだされば、わたしは行きます。」

という彼の言葉の中には、見える人間に頼ろうとする気持ちがはっきりと現れています。

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何もないところで神の御言葉のみに頼って生きるということは、恐ろしさを感じることでもあります。

田中信生牧師のお母様の田中きよの先生が神学生時代のお話をして下さった時のことです。

戦前・戦中・戦後を生き抜いてこられたきよの先生ですから、その証しには正直ビビリました(^^;;)。

「夏期伝道というのがあって、私たち神学生はみんな夏休みの間、遠いところに遣わされて伝道するのよ。」

「渡されるのは片道切符だけ。行った先で伝道して、回心者を起こし、地元の教会につなげ、献金をいただいて、それで帰ってくるのよ。」

私はきよの先生の話を聞きながら、そんなことが我が身に降りかかったら大変だ、と恐怖に震えました。

すると私の顔色が変わったのを察してか、きよの先生が、

「大丈夫よ。楽しかったわよ。」

と言って、ニヤリと笑った貫禄の笑顔を生涯忘れる事ができません。

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人に一緒についてもらおうとするところから、神に一緒について行ってもらおうとする生き方へ乗り換えることには恐ろしさがつきまといます。

まず練習です。

やがて必ず、ポンと飛び越え、神のみに頼る生き方へと移っています。

そのことを信じて歩んで参りましょう。

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士師記,御言葉

Posted by maruyama