今日のみ言葉【No.565】(2013年 5月11日)

主の霊がオテニエルに臨んだので、彼はイスラエルをさばいた
(士師記3:10)

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士師の最初はオテニエルです。

彼はカナンの地を一番最初に偵察したカレブの甥にあたります。

この時代、イスラエルはメソポタミヤの王クシャン・リシャタイムの征服下にありました。

そこから解放したのがオテニエルです。

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彼が最初にしたことは、メソポタミヤを追い出すことではなく、同胞のイスラエル自身をさばくことでした。

なぜなら、外敵侵入の原因は、イスラエルの神に対する不服従だったからです。

「イスラエルの人々は主の前に悪を行い、自分たちの神、主を忘れて、バアルおよびアシラに仕えた。」
(士師記3:7)

彼らは自分たちをエジプトの苦難から導き出された神を忘れ、バアルやアシラというカナン先住民の偶像礼拝に走ってしまったのです。

士師オテニエルは、自分たちの苦境の真の原因は外にあるのではなく、内側にあることを認め、まずイスラエルをさばいたのです。

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問題に出会った時は、神がこの問題を私に送った、と考えるのが聖書的な考え方です。

もちろんサタンが動いて私たちをトラブルの渦に巻き込んでいるのでしょう。

しかし、そのサタンでさえ、神の許可がなければ私たちに指一本触れることはできません。

神は悪を用いて、それを善に変えられるのです。

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そのために必要なことは、悔い改めです。

何でも自分のせいにすれば良いというわけではありませんが、問題に出くわした時は、問題を追っ払おうとする前に、自分の内側を探り、悔い改める点を見出していきましょう。

そうすれば、神の第一目的は果たされます。

そして次に、イエス・キリストの十字架で既に罪許されている自分であることを信じ、キリストの名によって大胆に神に解決を求めていくのです。

罪ある人間の願いを神は聞くことはありませんが、罪のない神の御子キリストを通しての願いなら、神は喜んでその祈りを聞き、神ご自身が働かれ、問題を解決して下さいます。

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先日、あるところでカウンセリングの授業をしました。

この授業は実生活に役立つこと、自分のためになることを十分説明し、「お得ですよ」と訴えたはずなのですが、学生さんの反応は鈍いものでした。

「まったく、意欲のない学生たちだ!」

「人生の何たるかがわかっとらん!」

と相手のせいにしたくなる気持ちが出てくる時が悔い改め、方向転換の大チャンスの時です。

興味を示さない学生が悪いのか、興味を湧かせることのできない自分の未熟さが原因なのか…。

そこで祈り、考えました。

神様は知恵を与えて下さいます。

「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」
(ヤコブ1:5)

今の若い人は、文字中心でなくビジュアル中心なのです。

そこで次の授業では一人一人にイラストを用意し、絵を見て考えてもらうようにしてみました。

教科書の文字は一切読ませず、手に持ったイラストを見て考えてもらうように、やり方を変えてみたのです。

結果は前回とは打って変わって、時間の最後まで学生さんの集中力は続きました。

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まず自分の内側をさばくこと。そこに神の示す最初の一歩があります。

祈りつつ、さわやかな悔い改めの歩みをして参りましょう。

士師記,御言葉

Posted by maruyama