今日のみ言葉【No.781】(2014年 3月 8日)

しかしモルデカイはひざまずかず、また敬礼しなかった。
(エステル記3:2)

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モルデカイがハマンになぜ敬礼をしなかったのか、その理由は明らかにされていません。

注意深く読んでいくと、ハマンは「アガグびと」、すなわち、イスラエル祖先の敵アマレク人の子孫であったからとわかります。

また、「敬礼」という語は「拝む」とも訳されるので、神でない人間を礼拝することはできないというモルデカイの信仰の行為だったのかもしれません。

しかし、その理由が明白にされていないという事は、そのことが聖書の中で重要ポイントではないということです。

重要なのは、悪が事を進めるときはどんどん進むということです。

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モルデカイが自分に敬礼しないことを知ったハマンは、モルデカイだけでなくユダヤ民族全体を滅ぼそうと図ります。

その復讐心の大きさは、

「銀一万タラントを量りわたして、王の金庫に入れさせましょう」
(エステル記3:9)

という彼の言葉からもわかります。

ユダヤ人を国内から一掃することでペルシャ王が失う多額の税収入を、自分が肩代わりしてもいいからやらせてくれ、という強烈な意志です。

王は見事にハマンの計略に乗せられました。

しかも、

「その銀はあなたに与える。その民もまたあなたに与えるから、よいと思うようにしなさい」
(エステル記3:11)

と気前の良い所を見せました。

ハマンは一銭も失うことなく、ユダヤ人を滅ぼすためのお墨付きを得、計画遂行のために邁進します。

この章の最終節に

「時に王とハマンは座して酒を飲んでいたが、スサの都はあわて惑った。」

とありますが、悪魔の高笑いが聞こえてきそうです。

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なぜ神は悪魔を放置しておかれるのでしょう?

これもその理由は明らかにされていません。

神様のお考えになっていることは人間には測り知れないのです。

しかし、ただひとつ明白なのは、悪魔は神が許可された範囲内だけでしか行動できないということです。

そして、神は悪魔の働きさえも用いて人間を訓練されます。

人は試みを通して成長させられ、心の不純物が取り去られます。

なぜだかわからない出来事の中にも、神様はちゃんとおられ、私たちの信仰が成長するように準備しておられるのです。

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エステル記第3章では、

「プルすなわちくじを投げさせた」

ことがそれに当たります。

ペルシャ風のサイコロを投げた、とイメージしてみて下さい。

「十二月すなわちアダルの月まで、一日一日のため、一月一月のために」
(エステル記3:7)

そのサイコロを転がして、ユダヤ人撲滅の日を定めました。

ハマンは今すぐにでも自分の願望をかなえたかったことでしょう。

しかし賽の目の結果は、

「十二月すなわちアダルの月の十三日」

に決まりました。

1年の猶予です。

ここに神の介入の御手が見えます。

悪がまかり通り、自分たちの行き先が真っ暗闇に見えても、そこには確かに見えざる神の御手の支配があることを覚えて参りましょう。

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