今日のみ言葉【No.544】(2013年 4月13日)
主はヨシュアに言われた、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。
(ヨシュア記6:2)
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「がん保険」という商品がありますが、これは世界でも日本と韓国、台湾以外ほとんど見かけない特殊な保険なのだそうです。
火災保険でも生命保険でも、保険とは不思議なもので、
「そうならないように」
入るのではなく、
「そうなったものとして」
その時になるべく困らないように入るものです。
既にそう成ったと信じて行動するようなものですから、こんな堅い信仰はそうそう見られるものではありません。
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今日の聖句も、「すでにそうなった」という完了形です。
「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。」
エリコは堅固な城壁に守られた難攻不落の町です。
しかし、それはすでに
「あなたの手にわたしている」
と神はヨシュアに語られたのです。
信仰とは、このようにまだ成就も完了もしていない事柄に対し、神が「既にそれは成った」と言われたら、そういうものだと思って自分の行動をそれに合わせて生きることです。
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
(ヘブル11:1)
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この後、ヨシュアとイスラエルの民に、そして現在を生きる私たちにも必要なことは、
「従順」
です。
神の言葉に従って生きることです。
しかしそれは時に苦痛を覚えることでもあり、疑念が湧くことでもあります。
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神がイスラエルに出された指令は、信じがたいほど突飛なものでした。
エリコの城壁の周りを1日に1回まわり、それを6日間繰り返す。7日目は7回まわり、最後に大声を上げる。
そうすれば、
「町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」
(ヨシュア記6:5)
というものだったのです。
これを大真面目にしなければなりません。それが「従順」ということです。
言われた通りやるのです。
愚かだと思ってもやるのです。
こんなことをしている私を人はどのように見ているのだろう、と思ってもやるのです。
やりたくなくても、やめたくなっても、やるのです。
なぜなら、
「エリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている」
からです。
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私はかつて、旧約聖書のナアマン将軍がヨルダン川で7度身を清めた時の気持ちを知るべく、7回顔を洗ったことがあります。
ナアマンは、こんな濁ったヨルダン川で自分のらい病が治るはずがないと思っていました。
しかし彼は最終的に従い、実行に移したのです。
私の場合はささやかな洗顔ということでしたが、1回目は普通の感じ。2回目もやる気はありました。
しかし3回目を終わった時点で、
「馬鹿なことをやってるなあ。誰も見ていないんだし、やめるか」
という思いが湧いてきました。
続けて4回、5回と顔を洗う時は、
「時間の無駄だ。人生を浪費している。」
という思いとの戦いです。
6回目は勢いで、そして最後の7回目、ひどい疲労感と共に洗顔を終えました。
従順に従うということは、従い慣れていない人にとって相当のエネルギーを必要とするものだと思い知りました。
そして、
「ナアマン、大したもんだなあ」
と素直に思えたことが収穫でした。
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神の言葉が語られたところでは、既にそれは完了しているのです。
そのことを励ましとし、神の言葉に従う従順な一日を送って参りましょう。
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