今日のみ言葉【No.545】(2013年 4月15日)

主はヨシュアに言われた、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。
(ヨシュア記7:10)

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「立ちなさい」とは行動を促す言葉です。

それまでヨシュアはひれ伏したままでした。

しかし今、彼はひれ伏して嘆く状態から、別の行動をとるように神様から促されたのです。

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ヨシュアが嘆いていたのは、アイとの戦いで想定外の敗北を喫したからです。

その前のエリコとの戦いでは、神が共におられ、神様の方法で不思議な勝利を得ることができました。

しかし、アイとの戦いでは神は共におられませんでした。

イスラエルの力はエリコでもアイでも変わりはありません。

神が共におられるかどうかが問題だったのです。

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なぜ神はイスラエルと共におられなかったのでしょう?

アカンという人が、神への奉納物の一部を密かに自分のものとしたからです。

それは盗みです。

事前に、

「ただし、銀と金、青銅と鉄の器は、みな主に聖なる物であるから、主の倉に携え入れなければならない」
(ヨシュア記6:19)

と言われていたのに、アカンは

「わたしはぶんどり物のうちに、シナルの美しい外套一枚と銀二百シケルと、目方五十シケルの金の延べ棒一本のあるのを見て、ほしくなり、それを取りました。」
(ヨシュア記7:21)

という過ちを犯したのです。

これがイスラエルを敗北させ、尊い人命を失わせる結果となりました。

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神の言葉はこうです。

「イスラエルよ、あなたがたのうちに、滅ぼされるべきものがある。その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから除き去るまでは、敵に当ることはできないであろう」
(ヨシュア記7:13)

ヨシュアはアカンとその家族、息子・娘までも処分しなければなりませんでした。

この当時、それは石で撃ち殺すという過酷なものでした。

しかも自分たちの手で行わなければなりません。

ヨシュアとイスラエルにとって、それは痛切な教訓となりました。

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罪対する神の峻厳とはこのようなものです。

自分の内にある罪を滅ぼすには、ひれ伏したままではできないのです。

立ち上がらなければなりません。

しかし我力でそのことをすることはできません。

立ち上がるのは、イエス・キリストの十字架を見上げるためです。

いえ、むしろ、「私がアカンとなり、その罪の刑罰を負った」と静かに語りかけるキリストの言葉を聞いて、人はひれ伏した状態から新たな力を得、立ち上がることができるのでしょう。

まさに、立ち上がらせていただけるのです。

旧約の時代は、自分で自分の内側の罪を滅ぼさなければなりませんでした。

しかし、新約の時代は、

「あなたの罪はゆるされた」

とのイエス様の御言葉を聞き、罪が滅ぼされた平安をいただいて立ち上がるのです。

もはや重荷を負って、嘆き、伏している必要はありません。

罪の重荷はイエス様が代わりに負って下さって私の上には無い、と信じて思い切って立ち上がってみることです。

そこに軽々と歩める人生が待っていることを体験することでしょう。

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キリストを信じる者は罪ゆるされていることを再確認する一日として参りましょう。

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