今日のみ言葉【No.376】(2012年 8月20日)

兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
(ガラテヤ5:13)

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親切とお節介の境目を見極めるのはなかなか難しいことです。

親切は、こちら側の「あなたのために良いと思いますよ」という行為を相手に受け入れてもらって成り立ちます。

相手の必要に合い、「そうしてもらうと助かる。嬉しい。」となれば親切として成り立ちますが、特に必要でもなく、望まれてもいない場合があります。

その時に、相手の判断を尊重し、引き下がれば問題はないのですが、

「まあそう言わず」

と進めすぎると、親切の押し売り、お節介になります。

つまり、こちら側の「良いことをしたい」という欲求を相手に受け入れさせるわけです。

こちら側の不十分さを相手に飲んでもらう(受け入れてもらう)のですから、飲まされた相手はたまったものではありません。

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親切という行為自体が罪だということではありません。

聖書は、それが自分の肉から出ているのか、愛から出ているのかを問うています。

聖書では人間の生まれつきの性質を「肉」と言いますが、人は制限が無くなると、この「肉」が働き出すのです。

キリストの十字架によって罪から解放された人間は、自由の身となりました。

「その自由を、肉の働く機会としないで」

という聖句は、

「人のことなどどうでも良い。私はわたしのしたいことをする」

という無制限の自由の乱発を戒めた言葉です。

むしろその機会を捉えて、

「愛をもって互に仕えなさい」

と勧めています。

自分から自由を制限し愛をもって他者に仕えるという、一見自分を窮屈な生活に追いやるような生き方が、実は人間に幸福感をもたらし、自由を与えるのです。

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ランナーズハイ、という言葉があります。

マラソンなどの長距離を走る際に、苦しい時間を乗り切ると、とても楽になり、走ることが気持ち良くてどうしようもなくなる現象です。

これは脳の中にエンドルフィンという幸福感をもたらす物質が分泌されるからだと言われています。

このランナーズハイの状態に、走らずともなれる方法が発見されました。

何とそれは、ボランティアです。

無償の奉仕をする時に、人間の脳内にランナーズハイの時と同様のエンドルフィンが出るのだそうです。

但しこれは無償の時に限ります。

報酬を受けてしまうと、人間の脳はそれをキャッチし、この脳内物質は出ません。

神様は人間をそのようにお造りになったようです。

幸福感、それは、愛をもって仕えていく時の、神様からのご褒美です。

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思い通りにスーッと動こうとする時、

「ちょっと待った!」

と一時停止し、天を仰ぎ、神のささやきを聞いて参りましょう。