今日のみ言葉【No.554】(2013年 4月25日)

エフライムの子孫が、その家族にしたがって獲た地の境は、次のとおりである。
(ヨシュア記16:5)

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ヨシュア記11章の最後で、

「こうしてその地に戦争はやんだ」

とあるように、約束の地カナンの征服は終わりました。

それから後に続くヨシュア記の章は、得た土地の分配です。

ですから、まるで不動産の登記手続きのような、一見無味乾燥な記述が続いています。

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しかし、実はこれは神がアブラハムに約束された契約の具体的成就です。

アブラハムがロトと別れた後、神は、

「あなたは立って、その地をたてよこに行き巡りなさい。わたしはそれをあなたに与えます」
(創世記13:17)

と約束なさいました。

「すべてあなたが見わたす地」

と表現された土地が、今、アブラハムの子孫であるイスラエルの民の手に渡され、具体的に各部族が住む土地として割り当てられているのです。

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神の約束がまだ成就していない前、それは燃えるような夢となって人を駆り立て、前進させるエネルギーとなります。

ところが、現実にそれが成就する段階では、まるで事務的手続きを行うように淡々となされていきます。

ニコニコ寮でお預かりした問題児と言われる人たちが癒される時もそうでした。

「彼らは将来素晴らしい人となる」、と信じ、その姿を心に描いて一生懸命祈ります。

するとその人がガラリと劇的に変わっ…、ということは滅多に起こりません。

教会スタッフは相変わらずその努力が実を結ばない日々を送ります。

祈りの中で描いた

「この人は将来、きっとこんなふうに素晴らしく変わる!」

という姿を心の慰め・エネルギーとして、かろうじて生きていきます。

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やがて「その日」がやってきます。

毎日祈り、関心を持っている人でなければ気づかないような朝がやってくるのです。

夢にまで見た変化は実にあっさりと起こります。

昨日まで抵抗し、できなかったことが、まるで日常茶飯事のように、生まれてから今までずっと当たり前にやっていたかのように、何事もなくなされています。

「うわぁー!」とか「あ゛ー!」とかという叫びも歓声もありません。

朝になって目覚めたら、何年も地中にいた幼虫がセミとなって鳴いています。

堅く動かなかったサナギから蝶が飛び出し、朝から当たり前のように花々の中を舞っています。

人が癒される時もそのようなものです。

気がつけば、何事もないように普通の日常生活を送っているのです。

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あなたが毎日淡々と送る日常生活は、実は神の約束とご計画の成就ではないでしょうか?

「神の恵みによって、わたしは今日あるを得ている」
(第1コリント15:10)

という御言葉を今一度かみしめる一日として参りましょう。