今日のみ言葉【No.331】(2012年 6月13日)
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
(ローマ5:5)
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炎天下で腰にロープを巻き付けられ、その先には自動車のタイヤが2本。
これでグラウンドを1周せよと命じられたら、あなたは拷問だと思うことでしょう。
しかし、高校の野球部員は違います。
命じられる前に自分から走り出し、「もう1周!」と更に自分にその労苦を課します。
なぜでしょう?
彼には甲子園出場という夢と目標があり、苦労に意味を見出しているからです。
人間は意味のない苦労を続けることは出来ません。
逆に言えば、困難の中に意味を見出すことが出来れば、困難を避けるどころか、その中に自ら飛び込んでいこうとするのです。
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今日の聖句で、
「希望は失望に終ることはない」
という理由は、
「なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」
とあるからです。
神の愛を理解できたからとは書いてありません。神の愛が注がれているからなのです。
神に愛が注がれ、私たちの心が潤っているからこそ
「それだけではなく、患難をも喜んでいる」
(ローマ5:3)
ことができるのです。
その患難は忍耐を、忍耐は練達を、そして練達は希望を生み出していきます。
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ではその神の愛はどのようにして注がれるのでしょうか?
今日の聖句で、
「わたしたちに賜わっている聖霊によって」
とあります。
私たちが御霊に心を開き、聖霊を心に迎え入れると、神の愛に対する感覚が変わります。
愛を愛として感じられなかったところから、愛されているという感覚が鋭くなり、感受性が豊かになるのです。
そして、もう既に愛が注がれていたことに気づいていくのです。
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私たちの生活のあらゆる部分に静かに注がれている神の愛を見出す一日として参りましょう。
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