今日のみ言葉【No.332】(2012年 6月14日)
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
(ローマ6:4)
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日本人は「己に死ぬ」とか「自分を殺して生きる」という表現を使います。
それは文字通りの意味ではなく、自分の思いや感情を表に出さないで抑えるということです。
宗教的には、極力自分の欲望を小さくして生きる、という意味になるかも知れません。
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今日の聖句で、キリストを信じた者は、
「その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。」
とあります。
クリスチャンはキリストと共に死んだというのです。
しかし聖書で言う「死」とは「分離」です。
日本人的に自分の思いをなくすことではなく、罪から分離されたということです。
神様の御心という的(まと)を知らず、時には意識的に、時には良かれと思って的外れの生活をしていることを聖書では罪と言います。
この罪と関係が切れ、無関係になったのです。
そしてキリストにある新しい命に生きる生活が始まるのです。
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例えて言うと、今までつきあっていた「罪」という恋人と別れて、キリストという恋人を得、洗礼式という結婚式を挙げて新生活をスタートさせたようなものです。
ところが、以前の恋人「罪」が時々やってきて、以前のようにつきあってくれないかと誘ってきます。
しかしその人とはもう関係が切れているのです。何の力も及びません。
たとえ「過去をばらすぞ」と脅かされても、
「私の伴侶は心の広い方で、私のすべての過去を知り、全部許していてくれています」
と言い返すことが出来ます。
昔の恋人とつきあう必要はないのです。
強化すべきは新しく共に生活を始めたキリストとの関係です。
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今日という新しい一日を神と共に生きて参りましょう。
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