今日のみ言葉【No.330】(2012年 6月12日)

主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。
(ローマ4:25)

——————

マタイ25章にタラントのたとえ話があります。

主人は3人の僕たちにそれぞれ5、2、1タラントを預けて旅に出ます。

このタラントとはお金の単位で、現代日本の感覚で言うと、5億円、2億円、1億円というイメージです。

また、タラントは英語のtalent(タレント:才能)という語の元になった語です。

神様は人間に能力の差は与えられましたが、莫大な価値の才能を与えられているのです。

-*-*-*-*-*-*-

主人が帰ってくるまでの間に、5、2タラントを預けられた僕は、それを元手に5、2タラントを儲けました。

自分の才能を100%生かしたという事です。

ところが、1タラントの僕はそれを地面の中に隠して、返ってきた主人にそのまま返しました。

預けられたものを失ってはいませんでしたが、増やすこともしませんでした。

彼はこう言い訳します。

「ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました」
(マタイ25:24-25)

主人は自分を誤解していた1タラントの僕を「悪い怠惰な僕よ」と叱り、そのお金を取り上げました。

その後、彼は外の暗い所に追い出されてしまったのです。

-*-*-*-*-*-*-

このたとえ話の真意は、人間には素晴らしい価値が与えられているのだから、他人と比較して「自分はダメだ」と思わずに、与えられている才能を活かして用いなさい、ということです。

しかし、私はこのたとえ話を読む度に、最後の1タラントの僕と自分が重なるのです。

私もこの僕と同じように、自分の才能は僅かだと見限り、チャレンジすることを恐れ、ただただ自分の1タラントを守るだけの生活を送っているのではないか…。

このままでは神様から

「この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい」

と言われてしまうのではないか…。

-*-*-*-*-*-*-

しかし、今日の聖句で、

「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され」

とあります。

1タラントの僕である自分のために、イエス様は死に渡された、という福音です。

1タラントの僕とは、神の御心を理解せず、御心の通りどころか、神の愛を無にして反対のことをしている人間のことです。

神の御心から外れた罪を、キリストは代わりに負って下さいました。

それは、

「この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい」

と言われた私たちの罪を代わりに背負い、神に捨てられ、十字架についてその受けるべき罰をすべて受けて下さったということです。

このキリストの贖いの中で生かされていることは、何という大きな恵みでしょうか。

-*-*-*-*-*-*-

新しい人生に今日も生かされて参りましょう。

-*-*-*-*-*-*-

※み言葉メールの自動登録と解除、バックナンバー

●空メールを送信して下さい。
・登録 reg@mikotoba.org
・解除 del@mikotoba.org

●バックナンバー
https://mikotoba.org

ローマ,御言葉

Posted by maruyama