今日のみ言葉【No.1295】(2016年 5月28日) 004 「女預言者アンナ」(3)

あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
(ルカ15:4)

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私の所には仕事に使えないスマホやタブレットが余っています。

数時間しかバッテリーがもたないもの、SIMカードを認識しなくなったタブレット、過熱して突然シャットダウンしてしまうスマホ等々、捨てるに捨てられずにいます。

24時間年中無休で働いてくれているのは、ガラケーと呼ばれる昔タイプの携帯電話であることは皮肉です。

もしイエス様が来られたら、真っ先に手に取られるのはそのガラケーではなく、放ったらかしにされている困り者のスマホやタブレットたちの方でしょう。

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イエス様に最初に出会った人々は、皆、「規格外」の人たちであったことに私は驚きを隠せません。

「規格外」とは、ほめ言葉ではではなく、消極的意味合いです。

羊飼たち、シメオンとアンナという二人の老人。彼らは世の中の主流からは外れていました。

数に入らない、いてもいなくてもほとんど影響がない人々でした。

次回の「東からきた博士たち」は相当富裕な人々でしたが、彼らはユダヤ人が忌み嫌う外国人であり、しかも、

「わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」
(マタイ2:2)

というところから、占星術をしていたらしいことがわかります。

イスラエルの律法では占いは厳に禁じられています。

そのような「規格外」の人々が、イエス様と最初に出会うように招かれているということは、神の愛のご計画のゆえです。

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あなたは自分が「ダメ人間」だとは思っていませんか?

クリスチャンになっても、「私はダメクリだから…」と自分をお責めになっている方がいらっしゃいます。

様々な失敗があったり、家族とうまく行かなかったり、自分を嫌う人がいたり、教会内でも疎外感を感じたりすれば、

「波風を立てないように何もしないほうが良いのだ」

「私なんかいないほうがいい」

とまで考えが沈むことがあります。

しかし、イエス様が一番最初に会うことを選んだ人は、見捨てられた人たちであり、世の中の基準を十分に満たしている人々ではなかったのです。

「ダメだなあ」と思う人ほど神様の愛に近い。

これが真理なのです。

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イエス様の宣教の第一声は、

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」
(マルコ1:15)

です。

神の愛はあなたが手を伸ばせば届く距離にあります。

もうその時代が到来したのです。

ですから、「ダメだなあ」と思う心を改めて、つまり「悔い改めて」、「私こそ愛される存在なのだ」と「福音を信ぜよ」と言われるイエス様の言葉に従って生き方を変えることが、イエス様との出会いの扉を開きます。

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この私だからこそイエス様は会って下さる。

そう信じて、新しい一歩を踏み出して参りましょう。

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