今日のみ言葉【No.2524】(2021年 4月27日)「神の恵みがその上にあった」
幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。
(ルカ2:40)
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子どもの成長を祝う日本の伝統的行事として七五三があります。
私たちの教会ではその時期に合わせて子ども祝福式をします。
その時の御言葉として今日の聖句が用いられます。
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イエス様には人間に生まれつき備わっている原罪がありませんので、肉体的にも霊的にも理想の成長をなさいました。
罪のない人間には純粋に神の恵みが注がれ、このように成長するのだという例です。
「幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった」
(ルカ2:40)
私たち人間には最初から原罪がありますから、理想的環境で育てられたとしても、完全な人間には至りません。
どこかで欠けがあり傷があり、本来人間があるべき状態の遥か下にいるというのが聖書が主張する事実です。
しかし、イエス・キリストの十字架を信じてクリスチャンになった者は義とされ、神はもはや罪を見出しません。
神の恵みが罪によって遮断されていたのが、それが取り除かれたので恵みが注がれる状態に回復したのです。
キリストを信じて以降、人は霊的成長を再開するのです。
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私の体験ですが、洗礼を受ける前と受けた後では心の有り様が変わったと感じます。
聖霊の光に照らされるという表現が一番しっくり来ますが、自分の罪がくっきりと見えるようになり、罪に対して敏感になりました。
たとえば、お店の人がお釣りを間違えた場合です。
以前の私はお釣りが少ないと文句を言い、間違って多く渡されると黙ってそのままいただいていました。
多少は心に引っかかるものがありましたが、
「世の中これくらいでないと渡っていけない。これが世の強者、勝者というものだ」
と些細なことで悦に入っていました。
さて、洗礼を受けた後、自分の計算以上にお釣りが来たことがありました。
「あれ、お釣りが多いみたいだな」
と感じたのですが、まだ罪人の名残(なごり)があったせいか、
「いいや、いただいちゃえ」
と思って足早に店を出てしまいました。
ところが、帰りの足が重いのです。
「どうしよう。返すべきか、そのままでいたほうがいいか…」
考えながら歩くその距離の長かったこと!
実際はわずか50mほどの距離しかなかったのですが、聖霊に足止めされながら歩く道のりは長く感じるものなのです。
いざ決心してお店に戻り、
「すいません、お釣り、多くもらいすぎているようなんですが」
と勇気を出して言うと、お店の人が
「ああ、今セール期間中なのでお安くしております。レシートをご覧下さい。間違いございません。またどうぞお越し下さい」
と言われて、何だそうだったのかと唖然としたのとホッとしたのと…。
しかし、たしかに神は私の心を少しずつでも変えてくださっていることを、実際の体験によって教えていただきました。
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神の恵みの注ぎの中で、霊的成長をさせていただく今日として参りましょう。
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