今日のみ言葉【No.1540】(2017年 5月27日) 085 「ピラト」(3)

なんの罪も見いだせない。
(ヨハネ18:38,19:4,19:6)

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ピラトは人との関わりは求めませんでしたが、客観的事実を把握する能力には長けていたようです。

僅かな時間の間に、この持ち込まれた問題はユダヤ人の内輪もめであり、ユダヤ教の宗教的教義の違いが対立を生んだ結果らしいと推測しました。

つまり、ローマ帝国に関係するような問題ではないのです。

彼は即座に無罪と判断し、イエス様を釈放しようと何度か試みました。

(1)ユダヤ人への見解報告(18:38)

(2)過越の祭りでの恩赦(18:39〜40)

(3)イエスをむち打って、これで十分と民衆に示した(19:1〜5)

しかし、そのような努力をしたにもかかわらず、効果がないことがわかると、ピラトはこの裁判から手を引こうとしました

「ピラトは彼らに言った、『あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない』」
(ヨハネ19:6)

彼は3回「なんの罪も見いだせない」と言っています。

しかし、感情が論理に勝つことがあるのです。

ピラトは予想もしなかった人々の感情の勢いに、いつしか流されている自分を発見しますが、もはやどうしようもありません。

群衆の言う通り、被告イエスを十字架につけ、暴動になる前に手を打つ、という落とし所で収まるようにせざるを得ませんでした。

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正しいことが通らないで、何年、何十年、時に何百年もそのままであることが世の中にはあります。

イエス・キリストはその中を淡々と歩まれます。

悪に引きこまれ、やっていないことをやっていると言われ、自分が損をするような中で、抵抗もせず、ただひたすら誹謗中傷と悪口の中をあえて選んで行ったのは、それが自分に与えられた使命だと分かっていたからです。

そして事態はどんどん悪くなり、神の御心から遠く離れ、悪が活躍するようになると傍目からは見えますが、実はそれが神が敷かれた真っ直ぐな道であったのです。

聖書を知り、今自分が人生の通り道のどの位置にいるのかを知ることは、あなたの生き方に平安を与えます。

間違っているのではないか、迷っているのではないか、という思いは人の心を消耗させます。

しかし、辺りがどんなに真っ暗でも、今自分は確かにゴールに向かって歩いている、しかも最短距離のルートをたどっていることがわかれば、安心して悲惨な所を通って行くことができます。

なんの罪も見いだせないのだから釈放されるべきだ、というのは人間の単純な考えです。

そこに深い神の御心があり、また、自分が持つべき使命というものがあるのです。

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同じ所にいて、同じ時間を過ごしているのに、ピラトは振り回され、自分の正しさが通らずに困惑していました。

しかしイエス・キリストは、神の正しさのレールの上に乗っていることを確信し、淡々と進んでおられます。

あなたの今日はいかがでしょうか?

真っ直ぐな神の道を歩んでいるという実感を持ちながら、今日の一日をひたすら歩んでいきたいものです。

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