今日のみ言葉【No.1412】(2016年11月15日) 044 「イエスの入場を迎えた子どもたち」(1)
イエスがエルサレムにはいって行かれたとき、町中がこぞって騒ぎ立ち、「これは、いったい、どなただろう」と言った。そこで群衆は、「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスである」と言った。
(マタイ21:10-11)
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現在、この「今日のみ言葉メール」は「イエスに出会った人々シリーズ」を続けています。
約100名の人々を取り上げ、その人たちがどのようにイエス・キリストに出会ったかに焦点を当てて書いています。
100という数字にこだわったのは、救われる可能性が99%無いと断言できる人でも、1%の救いの可能性があるということだからです。
つまり、どんなにキリスト教の救いがわからなくても、
「100も話を聞いてくれれば、その内の1つは当たる」
という数学的確率論から出た考えで、俗的に言えば「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的な発想です。
聖書中には様々な人が出てきます。
模範的人物ばかりではありません。反対者もいい加減な人も出てきます。
イエス様の言った意味を全く取り違えて、逆のことをする人もいます。
実際に目の前で出会っているのに、イエス様に出会っていない人もいます。
どこかの回で、そこに自分自身を見出していただければと願ってやみません。
そこにあなたとイエス・キリストとの出会いがあるからです。
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さて、今日登場するのは「群衆」です。
エルサレム入場の際、子ろばに乗って入るというスタイルは、イエス様が預言者ゼカリヤを通して預言された救い主であることを公然と現されたことを意味します。
「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。」
(ゼカリヤ9:9)
このイエス様の姿を見た群衆は、大いに期待して迎えました。
「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」
(マタイ21:9)
しかし、10節でイエス様を取り囲み賛美しながらやってきた行列を見て、一方の人々が、
「これは、いったい、どなただろう」
(マタイ21:10)
と言ったとあります。
日本語訳では丁寧な表現になっていますが、英語訳では「Who is this?」。直訳すると「この人は誰ですか?」です。
原語のギリシャ語では、実は「何だこいつは!」という人の人格を卑しめる言い方なのです。
群衆はこの言葉を聞いて、どうやら興奮がスーッと消えてしまったようです。
今まで「ダビデの子に、ホサナ!」と叫んでいたのですから、「ダビデの子だ!最高の王様の子孫だぞ!」と答えても良さそうなものです。
しかし、そう答えずに、「ガリラヤのナザレから出た預言者イエス」と表現を変えて言っているからです。
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ワーッと盛り上がり、スーッと消える。
いつの時代も群衆とはそういうものです。
自分に関わりのある1%のことで盛り上がり、関係のない99%のことには手を触れない。
これが私たちが「群衆」となっている時です。
イエス様は群衆に対して
「君たちはそれでいいのか!」
などとお責めになってはいません。
イエス様は私たち一人々々に、パーソナルに関わって下さる御方だからです。
群衆から切り離されて、一個人になる時。
その時がイエス様と一番近く出会える時です。
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神と自分との「ふたりぼっち」の時が最高の出会いの時です。
人から切り離された孤独の時とは、神の最高のプレゼントなのかもしれません。
祈りつつ、その時間を祝福の時として味わって参りましょう。
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