今日のみ言葉【No.2523】(2021年 4月26日)「キリスト教イロハ(149)『放蕩息子(4)』」

シューベルト自筆の楽譜(第3楽章冒頭部)

しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。
(ルカ15:32)

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シューベルトが作曲した中で最も有名なのは、「未完成交響曲」と呼ばれている作品ではないでしょうか。

未完成で終わったがゆえに、そのロマンティックな旋律美に満ちた音楽の先が聞きたいという願いが起こされます。

さて、放蕩息子のたとえ話も同じく未完成のまま終わっていることにお気づきでしたしょうか?

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放蕩息子のたとえ話は、弟息子の放蕩の後の帰郷、父の歓迎、兄の抗議、そして父が兄をなだめる場面で終了しています。

「しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである」
(ルカ15:32)

当時、ライブでイエス様の話を聞いていた聴衆は、その続きが気になったことでしょう。

「このお兄さんは父の話を聞き入れて祝宴に加わったのだろうか。それとも腹を立てたままで畑に行ってしまったのだろうか?」

現代の私たちもイエス様の説教の中断状態に置かれています。

しかし、これはイエス様が意図的になさったことなのです。

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当時の人々は息を飲んで話の続きを待っていたことでしょう。

しかし、その緊張感はあっさり打ち破られます。

イエス様が話を打ち切ってしまわれたからです。

なぜでしょう?

考えられる最も有力な答は、

「聞いている人々に兄の対応を考えさせるため」

です。

前回お話したように、兄息子はパリサイ人・律法学者たちを表しています。

彼らを兄息子の立場に立たせ、自らの考えで兄息子のその後のストーリーを考えさせ、この未完成のたとえ話を完結させようとなさったのです。

そんな面倒なことをさせる意図は何だったのでしょうか?

中断した先を考えることは、それまで語られたイエス様の教えを再確認する作業になります。

兄が弟をどう考えていたのか、兄息子は父に対してどんな考えでいたのか。

その過程で、否が応でもイエス様の教えと向き合うことになるのです。

自分たちだけが正しいとするパリサイ人・律法学者らは、一緒にその場にいた罪人・取税人らに対してどうしていたかを直視させられ、再検討に迫られます。

これは彼らにとっては苦しい作業でしょう。

しかし、そのことによって、

「あなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである」
(ルカ15:32)

という神の恵みの世界に入ることができるのです。

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私たちには不意に、

「あれは何だったのか?」

と自問自答する瞬間が訪れることがあります。

それは神があなたに考えさせている時間なのではないでしょうか?

自分の答を出し、恵みの世界の深みへと一歩ずつ導いていただく今日として参りましょう。

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