今日のみ言葉【No.2517】(2021年 4月19日)「キリスト教イロハ(147)『放蕩息子(2)』」
兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
(ルカ15:28)
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ルカ福音書の放蕩息子の話を読むと、間違いなく弟が放蕩息子です。
しかし、実は放蕩息子はもう一人います。
それは兄です。
弟が父と物理的距離をとったのに対し、兄の方は父親と相当な心理的距離があったことがわかります。
兄は心が父親から遠く離れた放蕩息子だったのです。
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悔い改めて帰って来た弟息子は、父から大歓迎を受けました。
それを聞いて、
「兄はおこって家にはいろうとしなかった」
(ルカ15:28)
とあります。
彼は帰ってきた弟に対して腹を立てているのでしょうか?
いいえ違います。
弟を歓迎する父に対して怒りがおさまらないのです。
兄の言い分を聞いてみましょう。
「わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました」
(ルカ15:29-30)
これだけを聞くと、この父親はまじめな兄を報酬なしに働かせた冷酷な父親だと見えます。
また、自分が気に入ったことがあると大げさに喜んで、祝宴を開くような自分勝手な人にも見えます。
これが本当なら、兄の怒りも当然のことだろうと同情さえしてしまいそうです。
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ところが、父はこのように言っています。
「子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ」
(ルカ15:31)
これは一体どういうことなのでしょうか?
子やぎ一匹どころか、父親の全財産は兄息子のものだと言っています。
もしお父さんの言ったことの方が正しいとしたら、兄はとんだ勘違いをしていたことになります。
彼は自分で自分を厳しく制限し、自縄自縛に陥っていたのが本当のところだとしたら、それは悲劇なのではないでしょうか。
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読者の皆さんはここで考えなければなりません。
なぜなら、このたとえ話は、後に聞き手が考えるように構成されているからです。
話し手のイエス様がそう意図されているのです。
考えるためのヒントは、
「そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった」
(ルカ15:3)
の「彼ら」となっている聞き手は誰かということです。
イエス様は誰をメインにしてこのたとえ話を話されたのか、ということを考えてみて下さい。
以下、次回に続きます。
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神の恵みがあふれていることに気づく今日として参りましょう。
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