今日のみ言葉【No.2339】(2020年 8月20日)「キリスト教イロハ(93)『主の祈り(6)』」

後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。
(ピリピ3:13-14)

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教会に来て聖書を読み、見よう見まねで祈る時、

「神様、○○して下さい」

というお願いの祈りが主(おも)になります。

初歩の祈りはこれで良いのです。

すると、祈りが自分の願い通りにかなえられて嬉しくなる時を体験します。

これが「天にまします我らの父よ」の段階です。

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やがて、祈ったことがその通りにはならないで、「な〜んだ…」とガッカリすることを体験します。

ここで初歩の段階を卒業して次の成長段階に行くかどうかは個人差があります。

次は「願わくは御名をあがめさせたまえ」だからです。

つまり、次の祈りは

「神様、あなたの御名のために○○したいのです」

へと飛ぶからです。

ここでは、祈りを自分の願望実現のための「ドラえもんの秘密道具」として用いるのをやめる覚悟が必要です。

手放すことに葛藤します。

霊的幼な子から霊的大人となるために、これは誰でも通るプロセスでしょう。

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主の祈りの「願わくは御名をあがめさせたまえ」の段階へ移った人の証拠は、その人が目標を立てて祈っているかどうかです。

子供は今日種を蒔いたら明日実を収穫できると考えますが、大人は物事はすべて段階を踏んで成されることを知っています。

スタートの次がゴールではなく、A地点、B地点という小ゴールを設け、一つ一つクリアすることを繰り返しながら、最終ゴールに到達するよう目指すのです。

次のパウロの言葉は、まさに霊的に成熟した人の生き方を表していると言えましょう。

「後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである」
(ピリピ3:13-14)

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次回は、神の御名を中心にして目標を立てるとはどういうことかに触れます。

祈りの階段を、無理なく、あなたのペースで登って参りましょう。

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