今日のみ言葉【No.1189】(2015年12月 3日)
わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。
(エゼキエル34:16)
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権力を笠に着て私腹を肥やし、人民を顧みない政治家。
人民は人民で、富める者は貧しい者を助けない世の中。
それがエゼキエル書第34章で糾弾されているイスラエルの状態でした。
神は御心の実現を人に託し、人間を通して神の働きをなそうとされます。
しかし古代イスラエルは、その思いを知りながら、意図的に神に反逆した歴史を繰り返しました。
その裁きはバビロン捕囚という形でなされます。
その後、神は、
「わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。」
(エゼキエル34:11)
と、自らが牧者となることを預言されています。
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これは新約聖書において、イエス・キリストによって実現しました。
「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」
(ヨハネ10:11)
まさに今日の聖句である
「わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。」
(エゼキエル34:16)
の実現です。
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ここで強調しておかなければならない点は、神はイスラエルも人間をも見捨ててはおられない、ということです。
神はあくまで人を通して御自身の計画を進めようとしておられます。
ですから、次のような考え方は誤りです。
「イスラエルが失敗した代わりとして、今度は教会に任せよう。しかし、教会だって伝道に失敗したらただではおかないぞ。御心にそぐわないクリスチャンたちは即座に捨て、教会は役に立たないものとして廃止。別の新しい方策に転換してやる。」
イスラエルは見捨てられていません。
「なぜなら、もしあなたが自然のままの野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつがれたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、元のオリブにつがれないであろうか。」
(ローマ11:24)
私たちに求められているのは、悔い改めて神の道に立ち返ることです。
「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」
(ルカ19:10)
神はイエス・キリストを通して、今も私たちを探しだそうとし、救おうとされています。
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良き牧者の声に聞き従う一日として参りましょう。
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