今日のみ言葉【No.2292】(2020年 6月11日)「キリスト教イロハ(77)『十字架の意味(1)』」

神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。
(ローマ1:17)

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十字架(クロス)のネックレスは一般の人もつけるアクセサリーとなりました。

元々は死刑の道具だったのに、キリスト教の普及によって神の愛というイメージが強くなったからでしょう。

十字架は2本の木でできています。

それは神の義と愛を表すと言われます。

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まず「義(ぎ)」です。

聖書において「義」とは神の正しさを表します。

義については、御言葉メールのバックナンバーに詳しい記事がありますのでご活用下さい。

mikotoba.org/?p=4005 「義」
mikotoba.org/?p=3880 「神の義」

神は正しい方ですから、人間の不義や不正を見逃すことはできません。

神はそれを怒り、裁かれる御方です。

それを聞くと、自分の罪に心当たりのある人は、

「そんなに怒らなくてもいいじゃないか。神様なのだから少々のことは大目に見てくれないのか」

と、裁きの基準を緩めてくれと思うことがあるかもしれません。

しかし、もし不正をそのまま許すならば、神の義は成り立ちません。

それでは神が神でなくなってしまうのです。

従って、どんな些細な罪であっても神の怒りは燃え、罪は罪として神は厳正に裁かれます。

この義なる神の前では、罪人なる人間の立つ瀬はありません。

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しかし、神の本質は怒りではありません。

愛こそ神の本質なのです。

さて、十字架の縦の木を義とするなら、横木は愛です。

神は十字架において、ご自身の義を全うしながら、愛も同時に成り立たせられました。

この神の「離れ業」については次回に述べることにします。

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讃美歌262番に

「十字架のもとぞ いとやすけき 神の義と愛の あえるところ」

とあります。

この十字架のもとに憩う今日として参りましょう。

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