今日のみ言葉【No.1342】(2016年 7月30日) 020 「嵐の湖上で死にそうになった弟子たち」(2)

「静まれ、黙れ」
(マルコ4:39)

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私は高校時代、英語が得意で数学は苦手でした。

後に教会で子供たちに勉強を教える機会があった時、得意なはずの英語は教えることができませんでした。

なぜなら、

「何でこんなの覚えられないの?」

「2〜3回練習したらできるでしょ」

という言葉が私の口から出てくるからです。

私にとっては自明の行為で、全く当たり前のことなのですが、こんな冷たいことを言う先生では生徒は逃げていってしまいます。

ところが、苦手なはずの数学を教えると大変好評でした。

自分自身も分からなくて苦労したので、同じような問題で難儀している子供たちの気持ちと一致できるのです。

「そうだよね、こんなの分かるはずがないよね」

そして、

「ここでつまづくんだよね。でも、ここを通り過ぎるとスイスイ進むよ」

と自分が通った道なので、懇切丁寧に、親身になって教えられます。

どの立場に立つかによって、私は冷たい先生になることも暖かい先生になることもできたのです。

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イエス・キリストと出会うための聖書の読み方は、弱い方の立場、御心でない方の立場の人になって読むことです。

ガリラヤ湖で嵐に襲われた記事では、イエス様と反対側の弟子たちの立場にたち、彼らの気持ちになってこの個所を読むと、イエス様との出会いのための読み方となります。

彼らがやったことは何だったでしょう?

弟子たちは眠っているイエス様を起こしました。

突然嵐が来て舟が沈みそうになっているのですから当然です。

しかしその時のものの言い方が問題です。

彼らは、

「先生、このままだとおぼれて死んでしまいます。起きて下さい。」

とは言わずに、

「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」
(マルコ4:38)

と言いました。

自分のことしか考えられない。

これが弟子たちのありのままの本当の姿でした。

そして、この姿が自分なのだ、と思ってこの聖書箇所を読むと良いのです。

私ならおそらく、

「おい、イエス!俺達が死んでもいいのか!早く起きろー!」

と言ったことでしょう。

命がかかっているので必死なのです。

必死なので、本性が現れてしまいます。

これをイエス様は待っておられるのです。

本当の自分が現れるからこそ、その本当の自分と会って下さるイエス・キリストとの出会いがあるのです。

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イエス様はこの弟子たちの言葉に対して、怒りもせず、また、寂しがりもしません。

本当の自分を持ってイエス様に会いに行くと、イエス様も本当の自分を出して接して下さいます。

それが

「静まれ、黙れ」
(マルコ4:39)

という言葉でした。

大波と嵐に向かってこの言葉を発すると、

「風はやんで、大なぎになった」
(マルコ4:39)

とあります。

つまり、イエス様は大自然をも支配されるお方だという姿を弟子たちの前に表して下さったのです。

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イエス様は本当のあなたと出会おうとされています。

恐れず、本当の自分を携え、神の前に祈る一日として参りましょう。

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