今日のみ言葉【No.2179】(2020年 1月20日)「キリスト教イロハ(40)『義(ぎ)』」
アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
(創世記15:6 )
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「なぜ聖書では『義』という専門用語を使い、一般人に馴染み深い『正義』という言葉に言い換えないのだろうか」
これは私の長年の疑問でした。
そこにはきちんとした理由があります。
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「義(ぎ)」とは正しさを表す語です。
義と正義の違いは以下のようになります。
(1)神と人間との関係における正しさを表す時は「義」が用いられる。
(2)人と人との関係を表す時には「正義」が用いられる。
このように区別すると、ほぼ間違いがありません。
人間同士のトラブルでは「正義」が問題にされ、神に対する人間のあり方では「義」が問われるのです。
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さて、あなたが交通検問の前を車で運転していたとします。
停車させられ、警察官から
「検問にご協力ください。免許証を拝見します」
と言われてもスムーズにまた元の道路に戻れるのは、あなたが道路交通法上の違反を何もしていないからです。
それと同じように、神の前で正しい状態、つまり義であるためには、神が定めた規準(律法)に何一つ違反をしていないことが必要です。
しかし聖書はこう言います。
「義人はいない、ひとりもいない」
(ローマ3:10)
聖なる神の要求を完璧に満たせる人はいないということです。
たとえ外面的行為には現れなくても、心の中で思っただけで罪だ、と神は人の内面までも問うのです。
「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」
(マタイ5:27-28)
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律法を守って神から義と認めてもらおうとする時、人は絶望に陥ります。
人は罪のゆえに実行不可能な存在となっているからです。
この神の義は、神から与えられることによってのみ得られます。
すなわち、キリストを自分の罪からの救い主であると信じることによって与えられるのです。
イエス・キリストが十字架で私の罪の身代わりとなり、交通反則金ならぬ罪の刑罰を全て負って下さったのだと信じる時、罪の赦しが与えられ、神は私たちを義と認めてくださいます。
キリストを信じる信仰によって神の義が与えられるのです。
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この神の法則は昔も今も同じです。
「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」
(創世記15:6 )
彼は子孫が星の数ほど増えると言われた神の言葉を信じました。
その信仰によって彼は神の前で正しい者、義なる者と認められたのです。
また、旧約時代に罪を犯したイスラエルの人々は、動物のいけにえを差し出し、その命を犠牲にすること(あがない)で神は罪をゆるすと約束なさいました。
「こうして祭司が彼の犯した罪のためにあがないをするならば、彼はゆるされるであろう」
(レビ4:35)
これも、そのようにすれば神との関係が正しくされると信じることによって得られる信仰による義です。
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私たちは自ら犠牲を払うことなく、キリストの贖いという恩恵によって罪が赦されています。
十字架の罪の赦しを信じ、神の前に義なる者として堂々と恵みをいただく今日として参りましょう。
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