今日のみ言葉【No.2150】(2019年11月21日)「キリスト教イロハ(31)『神』」
「わたしは、有って有る者」
(出エジプト3:14)
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毎週月・木の「キリスト教イロハ」ではキリスト教にまつわる語を説明し、キリスト教入門的な意味でお届けしています。
今回からしばらく「神」シリーズが続きます。神様に関しては語るべきことが多いからです。
第1回目は絶対的存在者としての神です。
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日本人がキリスト教を知る時に、
「果たして神は存在するか。いるのかいないのかどうやったらわかるか」
という問いは大変重要です。
しかし、聖書には神の存在証明やその証明方法は書いてありません。
そもそも旧約聖書の第1ページ目の第1行から
「はじめに神は天と地とを創造された」
(創世記1:1)
で始められているように、神の存在は自明であり、それを取り立てて問題にする考えなど全く無いという立場から始まっています。
神は天地宇宙の絶対的実在者であり、
「わたしは、有って有る者」(“I am that I am.")
(出エジプト3:14)
という神の自己啓示の通り、存在そのものの御方だというのが聖書の主張です。
この神の姿をチラリとでも見たい人は、自分の内側を探ってみるとよいのです。
なぜなら
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」
(創世記1:27)
とあるように、人は神のかたちに創造され、神のイメージが人間の中にあると聖書は語るからです。
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今最もチケットを取るのが難しいと言われる人気落語家、立川談春の『赤めだか』(扶桑社)からの話です。
落語界の風雲児立川談志は、落語協会の旧態依然としたやり方に反旗を翻し、脱会しました。
師匠の人間国宝五代目柳家小さんは、協会の会長という立場からそれを見過ごせず、弟子の談志を破門します。
二人の関係はそれ以来全く切れてしまいました。
やがて時至り、談志の弟子の談春が自分の真打昇進のために何かインパクトのあることはないかと考え、小さん師匠をゲストに呼んで落語会をやろうとします。
これを思いついた瞬間、談春は背筋が凍ったと言います。
なぜなら、うまくいけば万々歳ですが、話がこじれて断られたら師匠談志の面子は丸潰れ。
談春さんは破門覚悟で頼みに行くと、柳屋小さんは快く引き受けてくれました。
そして会の当日、あらためてお礼に行くと、
「今日は何の根多を演るんだ」
「蒟蒻問答です」
「そうか」
という会話の後、小さん師匠はいきなりその蒟蒻問答を演り始めたのです。
「一席終わると、大事な部分をもう一度演ってくれる。そして最後にもう一度、頭から演ってくれた」
(同書P291)
まさか小さん師匠から稽古をつけてもらえるとは思わなかったので、彼はとても驚きましたが、もう一つ驚いたことがありました。
「稽古の仕方、進め方が談志とそっくりだったのである。小さんが談志に教えたものを、同じ教え方でオレ(談春)は教わってたんだ。オレ(談春)の芸には間違いなく、柳家小さんの血が流れていたんだ……。そう実感できたら、何故かたまらなくなった」
(同書P292)
小さんと談志。
二人を神と人間とに置き換えてみましょう。
たとえ両者の関係は切れてしまっていても、談志の中に師匠小さんの「かたち」がしっかりと残っていたように、私たちの内に「神のかたち」があり、探そうとすれば見いだせるのです。
神の存在証明はどこかにあるのではありません。
私たちは自分の心の中に神の存在証明を持って生きているのです。
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今日、あらためて、神の存在を確信する日として参りましょう。
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