今日のみ言葉【No.2147】(2019年11月18日)「キリスト教イロハ(30)『カトリック』」
互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。
( コロサイ3:13 )
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高校生の頃、世界史の時間に
「カトリック教会は免罪符を発行し、本来のあり方から逸れたと抗議したルターが宗教改革を行い、プロテスタント教会が始められた」
と習いました。
まだクリスチャンになる前の私は
「プロテスタントが正義の味方でカトリックが悪役だな。キリスト教と言っても人間臭いもんだな」
という印象を持ちましたが、後になって学んでみると、そう簡単に判断できるものではなく、また単純にレッテル貼りできるものではないということが段々わかってきました。
本来のカトリックとはどのようなものなのでしょうか。
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カトリック教会は、ローマ・カトリック教会、西方教会、ラテン教会などと呼ばれています。
カトリックの元々の意味は、「普遍的(ふへんてき)」ということです。
教会の信仰と教えとは、世界中どこでも同じであり、一つであり、普遍的であるという意味です。
カトリック教会は使徒ペテロを教会の創設者としています。
「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない」
(マタイ16:18)
紀元1世紀の使徒たちの後継者として教会を指導するのが、世界各地の司祭(神父)です。
そして、教会の頂点にあって指導するのが、ペテロ以来のローマ教皇であるとしています。
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さて、カトリックとプロテスタントでは、どちらが正しいのでしょうか?
それはキリスト教の歴史を見れば自ずと答が出てくることでしょう。
私の答ですか?
私が一番納得している答は、
「どちらも誤りを内包している」
というものです。
不完全な人間が神の呼びかけに応答して作っているのが教会です。
しかし、「イエス・キリストこそ救い主」という一点さえ伝えられていれば、そこを通して神の救いが人類に伝わっていきます。
ちょうどそれは電源コードの中の銅線のようなものです。
ハサミで切ったことのある人はわかりますが、中に数十本の細い銅線が束になって通されています。
その全部が電源とつながっている必要はありません。
その内のたった1本でも接触していれば電気は通じるのです。
(ただし実際は半断線状態では火災の危険がありますのであくまで理論的な話です)
カトリックとプロテスタントの両者共、「あれ?」と思うようなことはあり、そのまま現在まで継続しているものがあります。
ですから、互いにゆるし合い、お互いを尊敬しながら、キリストの救いを伝えることに専念していけば良いのです。
「互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい」
( コロサイ3:13 )
これが私たちが悪魔に笑われないための秘訣です。
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救い主を見上げる今日として参りましょう。
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