今日のみ言葉(2011年7月28日)【No.130】

「あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく
歩きなさい。」
(エペソ5:8)

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キリスト教は肩書き先行の宗教です。

中身が充実してクリスチャンになるのではなく、クリスチャンになってから中身が充実し
ていくのです。

恵み先行ですから、まず神の子という資格や肩書きが信じた瞬間に与えられます。

神の子、光の子としてふさわしい実力・人格を持っているかどうかは問われません。

光の子として認めるので、そのように振る舞いなさい、ということなのです。

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それは若くして社長の座を譲り受けた二代目社長のようなものです。

自分はまだまだこれからなのに、地位だけが与えられました。

部下の方が知識も実力も上です。社長としての貫禄も統率力もありません。

しかし、社長らしい服を着、社長らしく決済をし、社長らしく将来を考えるという、社長
の仕事をするのです。

ぎこちないことは言うまでもありません。

しかし不思議なことに、社長らしく振る舞っていると、だんだん、本当に社長らしくなる
のです。最後には本当の社長になります。

クリスチャンも同じです。今あなたは自分が光の子だとはとてもとても思えないかもしれ
ません。

しかし、光の子とされたと信じ、光の子らしく歩んでみるのです。

そうすれば、いつの間にか光の子となっていることに気づくことでしょう。

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この時の注意点は、無理に光の子になろうとしないことです。

ポイントは、

「以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。」

ということです。

自分から光り輝こうとしないで、主にあって光とさせていただくのです。それはまず自分
の過去の罪を神の前に明らかにすることから始まります。

そうした時、罪はイエス・キリストの十字架にあって赦され、やみは逆に神の手によって
用いられ、光り輝いていくようになるのです。

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子供たちに聖書を教える教会学校の教師ほど素晴らしい奉仕はありません。

十分な訓練と専門の教育を施されて教会学校の教師となる人は稀です。

ほとんどの人は救われて間もなく「教会学校の先生としてやってもらえないか…」と請わ
れ、「私で良ければ」と奉仕を始めます。

まだまだ発展途上のクリスチャンですから、子供たちの前に模範的クリスチャンという光
の姿を見せられるはずがありません。

ボロは出ますし、聖書知識も限られています。

その中で、自分の中にある精一杯の神様体験を話し、愛をかき集めて子供たちに分け与え
ることを通し、教会学校の先生らしくなっていくのです。

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光とされたのですから、光の子らしく歩みましょう。

初期,御言葉

Posted by maruyama