今日のみ言葉(2011年7月27日)【No.129】
「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたし
たちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」
(第1ヨハネ4:12)
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新約聖書が書かれた当時のギリシャ語で、愛を表す語は4つあります。
(1)ストロゲー
親子の愛。血縁関係がある間だけにある愛です。
(2)フィリア
友情。「同じ釜の飯を食う」という表現が日本語にありますが、同じ環境を過ごす中で感
ずる愛です。ですから、離れれば消えたり薄まります。
(3)エロース
人間の愛。対象となる人や物に価値が見出される時に発生する愛です。
綺麗な花だから愛しますが、枯れれば誰も愛しません。やさしい人だから愛せますが、そ
の人が冷たい態度を取るようになれば、人間の愛はエロースですからこちらも冷えて愛さ
なくなります。
(4)アガペー
神の愛。神からの一方通行の愛です。相手に価値があろうが無かろうが、神の意志で愛し
ます。
相手が冷たかろうが愛に燃えていようが関係なく、変わらずに愛し続ける愛がアガペーで
す。
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今日の聖句の、
「もしわたしたちが互に愛し合うなら」
をエロースの愛で考えると間違います。
エロースの愛は自分のために相手から奪う愛ですから、相手に感じていた素晴らしさや魅
力が無くなれば、そこで枯渇してしまいます。
エロースの愛は一時的で永続するものではありません。
どのような愛で愛するかは、10節に書かれてあります。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの
罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」
(第1ヨハネ4:10)
キリストの十字架で私たちの罪を赦して下さった神の愛を体験し、その愛で他者を愛する
ことが「互に愛し合う」ことなのです。
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アガペーの愛で人を愛するためには、エロースの愛の限界を知らなければなりません。
それはたとえば、
「こんなにあなたのことを愛しているのに、どうして私の愛が分からないの!」
と相手に怒りを感じる時です。
アガペーの愛は、相手が愛を感じていようが、その愛に感謝してくれようがくれまいが関
係なく、変わらずに愛の分からない相手を愛するのです。
この人に愛を注がなければならないと頭で分かっていてもそうできない自分の限界を知る
ことが最初のステップです。
そして、愛の足りないこの私こそが、
「それでよい。そのままのあなたを私は受け入れている。」
と、神によって愛されていることを知ることです。
ここに愛があります。
そして、ここから愛が始まるのです。
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不十分なままをとがめずに愛して下さる神の愛に気づく一日として参りましょう。
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