今日のみ言葉【No.2139】(2019年11月 8日)「苦難にあずかる者(2)」

2019年11月8日

さて、ゼベダイの子のヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。
(マルコ10:35)

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病院でお医者さんに向かって「最近お腹が下り気味で…」と話すことは問題ありませんが、これを食事の席で言ったら相手に迷惑です。

このような人は自分のことしか頭になく、それを聞かされる相手の気持など考えない状態にあります。

自分は殺されるのだという予告をなさったイエス様に対して、自分たちの願いをかなえてもらおうと出てきたヤコブとヨハネがそうでした。

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この二人はイエス様のもとに来て

「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」
(マルコ10:35)

とおねだりをしたかのように書かれています。

神に願うことは悪いことではありません。

イエス様御自身が

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」
(マタイ7:7)

とおっしゃっているのですから、神に求めることは良いことなのです。

「天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか」
(マタイ7:11)

とあるように、神は求めてくる人間に良いものを与えようとする恵みの神です。

ヤコブとヨハネはイエス様の言葉を信じ、

「よし、ああ言われているのだから、お願いしてみよう」

と信仰に立って求めたのですから、当然その求めは願った通りにかなえられるのではないでしょうか。

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しかし、それはイエス様をジュースの自動販売機と同様に見ているような願いでした。

100円入れたのだから、ちゃんと出せ、と言っているようなものです。

私たちは生きた人間同士、痛む心を持った者同士の集まりです。

イエス様も人としてこの地上を生きられましたから、死を目前にした人間が味わう気持を同じように感じられ、いたわりや共感を必要としていたはずです。

しかし、この時のヤコブとヨハネはその気持を省みる心はなく、あったのはただ自分たちの将来の立場をできるだけ有利にしようとする魂胆だけでした。

つまり、イエス様が神の力によって神の国を完成した暁(あかつき)には、自分たちを高い立場に置いてくださいと、我が身の保身と出世を願ったのです。

それは生きた人間同士の人格的交流などというものではありません。

イエス様を自分たちの栄華のための踏み台として利用しようとしただけなのです。

死を前にした人に対して、自分のことしか考えないで要求しているとは、ヤコブとヨハネは何という自己中心な愛のない人なのでしょう。

しかし彼らを批判することはできません。

なぜなら

「十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことで憤慨し出した」
(マルコ10:41)

とあるように、他の弟子たちもヤコブとヨハネ同様の思いを隠し持っていたことがさらけ出されているからです。

彼らの思いはまた私たちの思いでもあるのです。

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自分のことしか考えないで、自分のためにだけ御言葉を利用しようとする人々に囲まれ、迫られたイエス様はこの後どうなさったのでしょうか。

愛の対応をなさるイエス様の答とはどんなものなのでしょう?

それは次回に譲ります。

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ヤコブとヨセフと自分自身について、思い巡らす今日として参りましょう。

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