今日のみ言葉【No.2069】(2019年 8月 6日)「二度目の受難予告(1)」

2019年8月6日

(ピリポ・カイザリヤ from BiblePlaces.com)

「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」
(マルコ9:31)

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自分の死期を明確に悟り、その通りに亡くなった方には、私は今まで2名しかお会いしたことがありません。

そのお二人は言葉通り、きれいにこの世を旅立って行かれました。

しかしそう告げられた時の私の反応は、

「○○さん、一応お言葉は承っておきます。でも、まだまだこれからじゃないですか」

と本気にせず、励ましにもならないような言葉でお茶を濁す程度でした。

ですから私は、イエス様から受難の予告をされた時の弟子たちの気持がある程度わかります。

彼らは聞いてはいるが、聞いていないふりをしていただろうということが容易に想像できるのです。

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弟子たちは

「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」
(マルコ9:31)

と言われるイエス様の言葉を理解することができませんでした。

いいえ、わからないのではなく、わかろうとしなかったのです。

なぜなら、「本当にそうなってしまったら大変だ」という恐れの気持を持っていたからです。

怖いことは起きて欲しくありません。

ですから、イエス様の受難予告を本当のこととしては受け止めず、聞いた直後から流してしまいます。

この後、弟子たちが

「だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていた」
(マルコ9:34)

というのは、気を紛らわすためだったのです。

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このように、何を言ってもこちら側の言うことが入らない心を「かたくなな心」と言います。

イエス様が偉いところは、たとえ今はわからなくても、やがて時が来ればわかるようになると見越して、あえて受難の予告をなさったことです。

ここのところが伝道の要所です。

多くの伝道者はここで一旦挫折し、人に福音を伝えることも祈ることもやめます。

なぜなら、わかろうともしない人に伝えるのは無駄だと感じ、払う労力に見合った成果が出ないことに失望し、力を失うからです。

しかし、やがて、福音を伝えようとするクリスチャンは伝道の次の段階に入ります。

それは、

「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」
(第2テモテ4:2)

の御言葉が迫ってくる時です。

晴れていても雨が降っていても、芽が出そうな時も出そうでない時も、ただ忠実に御言葉の種を蒔くことが自分の使命なのだと悟らされる時が来るのです。

私の務めは種を蒔くこと。

それを成長させて下さるのは神のわざ。

その真理に目が開かれる時、

「聞く人の心の準備ができた時に、今まで耳にしていたイエス様の言葉がわかるようになるのだから、言うべきことは明確に伝えなければならない」

と、人は再び力を得て、いよいよ本格的、継続的伝道を始められるようになるのです。

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やがてわかる時が来る、と信じ、今日も神の真理を語り、御言葉の種まきをする一日として参りましょう。

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