今日のみ言葉【No.2090】(2019年 9月 6日)「弟子たちへの教訓(3)」
2019年9月6日
だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。
(マルコ9:41)
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反対しない者は味方だと語られたイエス様は、さらに一歩進んで、協力し、良くしてくれる人たちについて語っておられます。
「だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう」
(マルコ9:41)
ここを読む時には
「そうか、クリスチャンに会った時には水一杯を差し上げればいいのだな」
と読んでは本当の意味をつかみ損ねてしまいます。
ここは、
「水一杯というほんの僅かな行為でも覚えて報いて下さるのが神という御方なのだよ」
ということです。
そして、
「だから、それ以上の善い行いには、神はさらに大きな報いを与えて下さいますよ」
と教えているのです。
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このような聖書箇所を自分の欲望の充足のために利用しようとする人がいます。
そのような人がこういう聖書箇所を読むと、自分の得になるように読みます。
「そうか、神は有効な投資先だな。こちらに賭けてみるか」
その人は神の言葉に表面的に従って、クリスチャンや教会に対して与え出し、善行をします。
それが結果的に人の好感と信頼を呼び、経済的にも社会的にも大いに繁栄するかもしれません。
しかし、この聖句が本来意図することは、自分の得になるように神から報いを求める考え方とは大きく異なります。
たった一杯の水でも、神様はその人の行為を忘れることなく覚えていて下さり、必ず何らかの形で報いてくださるのだから、私たちは人からの報いを求めることなく、神からの報いに信頼して日常生活を歩みなさい、ということなのです。
神様はどんな小さなことでも覚えて報いてくださるのだから、その神の報いに目を留め、人の反応は気にするな、ということです。
そうでないと、
「あの人にあんなにしてあげたのに…」
と、古くから人類を悩ましてきた「忘恩」という不幸なからくりに巻き込まれてしまいます。
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神から与えられた報いにのみ目を注ぎ、今日、天から降ってくるマナによって霊的に養われる一日として参りましょう。
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