今日のみ言葉【No.998】(2015年 3月 7日)

主の名は堅固なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得る。
(箴言18:10)

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箴言第18章には人間関係にまつわる格言が集められています。

「愚か者」「悪しき者」という言葉で表される当時の人たちは、今なら「理不尽な要求をするクレーマー」と言う事が出来るかもしれません。

「愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ。」
(箴言18:2)

彼らは引き下がることができません。

神の守りがあることを知らないこの人たちは、ひとたび自分の意見が通らなければ、自分の存在自体が危ういことになります。

一度負ければそれでおしまい。

それを恐れて、何としても自分の意見を通そうとします。

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一方、神を信じる者は、この世界の全てが神の御手の中で支配されていることを知っています。

ですから、正しいことが通らず、理不尽な負けを味わされても、そこで引き下がります。

あとは神にゆだねていられるからです。

今日の聖句の

「正しい者はその中に走りこんで救を得る」

とある通り、自分には理解できない事にも神の配慮があると信じて救いと平安を得ます。

憎しみの念と復讐の炎で自分の人生を浪費することがありませんので、新しいことにエネルギーを注ぎ出し、そこにおいて豊かな収穫を得ていくのです。

すると不思議なことに、自分を卑怯な手段で負かした相手にいつの間にか勝っている、という神の現実を見せられるのです。

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旧約聖書の創世記26章にイサクの記事があります。

彼は飢饉のため一旦移り住んだゲラルの地で豊かな収穫を得ます。

よそ者が富むのを見た地元の人々はそれを妬み、追い出しにかかりました。

イサクはそれを受け入れました。

ゲラルの人々は、イサクの父アブラハムが掘った井戸をわざと埋めて使えなくする嫌がらせをしました。

イサクがそれを掘り返し、再び水の出る井戸に戻すと、彼らはその井戸を自分たちのものだと主張しました。

イサクはそれを受け入れました。

そしてまた別に何十メートルも掘って、そこでも水が湧き出ました。

ゲラルの人々はまたやって来て、その水も自分たちのものだと主張しました。

イサクはそれを受け入れました。

そしてゲラルから離れた地でまた井戸を掘り、そこでも水を掘り当てました。

井戸を掘り当てる的中率100%。これはまさしく「神がかり」的数字です。

ゲラルの王は、イサクのこの神がかり的な業と、全く抵抗を示さない態度に、彼の背後にいらっしゃる神様の存在に気づき、大いに恐れました。

そして、彼の方からやって来て、和解を申し出たのです。

イサクはそれを受け入れ、何の仕返しもすることなく、彼を赦してやりました。

「こうしてイサクは彼らを去らせたので、彼らはイサクのもとから穏やかに去った。」
(創世記26:31)

さらに、神はこの日、もうひとつの井戸からも水を湧かせて下さいました。

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今日も神の守りがあることを信じ、その堅固なやぐらに走りこみ、神の救いの業を見させていただく一日として参りましょう。

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