今日のみ言葉【No.2066】(2019年 8月 2日)「口をきけなくする霊につかれた子供の癒し(2)」
2019年8月2日
イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
(マルコ9:23)
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海外へ行く前、
「もし飛行機が落っこちて私が死んだら、誰も私のパソコンのデータを開けないし、ネットの契約も変更できないなあ」
と思い至りました。
そこで、全てのパスワードを紙に印刷して家内に渡し、
「万が一のことがあったら、これをAさんに渡して作業してもらって下さい。IT関係に詳しい彼に頼んでおいたから全部やってくれるよ」
と言って、安心して出かけました。
私の家内もAさんも、これを悪用する人ではないからです。
全部お任せしてゆだねる決心をするには、相手への「信頼」がなければなりません。
イエス様はその信頼を引き出すために、あえて子供の父親に厳しい言葉をかけ、絶体絶命の境地に立たせました。
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悪霊につかれた子供の癒しを頼んだ父親は、
「しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」
(マルコ9:22)
と、謙遜そうに頼んでいますが、実はこれは癒されなかった場合のために保険をかけているようなもので、イエス様に完全な信頼を置いた言い方ではありません。
ローマの百卒長は
「ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」
(マタイ8:8)
と言いました。
彼の頭の中には「できますれば」という言葉はありません。
イエス様にお願いして、お言葉をいただいたらその通りになる、という信仰しか無かったのです。
しかし、この父親の場合は、ギリギリ精一杯に言ってみても、
「しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」
(マルコ9:22)
だったのです。
それ以上は自分の身長を自分で伸ばそうとするようなもので、1ミリも伸びません。
ここが彼の限界でした。
-*-*-*-*-*-*-
イエス様はこの先へと父親の信仰を引き出して下さいました。
「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」
(マルコ9:23)
これは彼にとって相当厳しい言葉です。
この父親は、不信仰のせいで子供から悪霊を追い出せなかった弟子たちの姿を目の前で見ています。
自分が今信じなければ、あの通り子供は癒されない…。
すると、子供の命は自分が信じられるか信じられないかにかかっている…。
重大な責任が彼の上にあるのを、この父親はひしひしと実感させられたことでしょう。
しかし、うわべだけの演技の言葉はイエス様に通用しませんし、どんなに出せと言われても、これ以上の言葉は出てきません。
切羽詰まって、どうしようもなくなくなった父親は、思わず、彼の魂からの叫びを上げました。
「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」
(マルコ9:24)
ここに於いて、彼は
「信じられないけど信じます」
という、表も裏も含めた、自分の全存在を投げ出すことができたのです。
「イエス様、あなたを100%信じることができない私ですが、助けて下さるのはあなたしかいません」
という信頼の領域に引き上げてもらったと言ってもよいでしょう。
この信仰を見て、イエス様は子供を癒して下さいました。
私たちも
「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」
(マルコ9:23)
と言われたイエス・キリストの言葉に信頼を置き、神に祈る時に、悪霊につかれた子供が癒されたように、私たちの問題にも最もふさわしい答が与えられるのです。
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家庭崩壊の危機を支え、良い方向に向けようとする「いい子」が豹変するのは、自分の存在に危機を覚えることがその一つの理由です。
どんなに頑張っても両親の仲違いはおさまらず、家族みんなバラバラ。
一家団欒の夢破れた「いい子」は、頑張ること、良い子で居続けることに挫折し、
「私なんかいてもいなくてもおんなじだ」
という無力感に襲われます。
そして、次に親や家族に対する復讐に移るのです。
一晩中遊び歩き、家に帰っても無言を貫き通し、家族の一人々々に恨みの目を向けます。
しかし、このようにやっても空しさは募るばかりで、罪の意識と心の傷は深まっていくばかりです。
M兄もそのような状態に陥っていましたが、叔母さんがクリスチャンで、以前から誘われていた教会の礼拝に義理で行ってみました。
彼はあまりの聖なる雰囲気に圧倒され、自分が隠れて行っていた罪の姿が暴かれるような気がして気後れしたそうです。
しかし、この世では味わえない聖なるものに魅力を感じ、教会に行き続けるうち、キリストの十字架のメッセージが彼の心の中に入ってきました。
「キリストはあなたのために血を流されました。あなたの罪汚れはその血によって洗い流されました。それほどにあなたは神の目に価値のある存在なのです」
天涯孤独の自分だと思っていたM兄は、自分の事をわかってくれる方がいるということに目が開かれたのです。
「この方になら自分の人生をあずけてみてもいいのではないか…」
少し傾いた彼の気持は、どんどん後押しされ、イエス様を救い主として受け入れる祈りをなさいました。
その日から、
「私は一人ではない」
という思いが心に湧きいで、今まで何千回と見ていた山や海の風景の中に神を感じることができたそうです。
「私はこの中に存在していていい。そして愛される存在なのだ」
M兄はそこから自分の生活を変えていこうとする意欲が湧き、確かな信仰生活を歩み始められ、その後、教会を通して実り豊かな人生を送っておられます。
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あなたならではの信頼を持って、今日も神に導かれて歩んで参りましょう。
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