今日のみ言葉【No.1681】(2018年 1月11日)「 タダより高いものはない」
神が御子の血であがない取られた神の教会
(使徒20:28)
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車内販売用のボックスを備えているタクシー会社があります。
聞けば栄養ドリンクが1本500円。
担当者が親しい友人なので
「高いんじゃないの?」
と突っつくと、彼はニヤリと笑い
「いや、逆に100円だと売れないんだ。中身は同じでも500円にすると売れるんだ。なぜだかわかるか?」
と聞き返してきます。
私が「?」という顔をしていると、彼は
「人は値段が高いほうが効き目があると思うのさ」
と涼しい顔で答えました。
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さて、これがタダで販売(?)されていたらどうでしょうか。
無料なのですから乗った人全員が飲んだり持ち帰ったりするでしょうか?
いえいえ、逆に
「ひも付き(条件付き)なのではないか」
「何か裏があるのではないか」
と警戒され、手を出してもらえないでしょう。
なぜなら私たちはこの世を生きていく中で、うっかり物をもらってしまったがゆえに頼み事を断れなくなったり、無料につられて契約したら解約時に払う料金が高かった等の経験をしているからです。
「無料のものはあり得ない。必ずそこには代価や犠牲が払われているので、当然その分を上乗せされて価格が決まるはずだ」
「タダより高いものはない」
この身にしみて得た教訓は、キリストの福音を受け入れるときの障害になります。
救いは無償で、人間に信じること以外、何の要求もしないからです。
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ではキリスト教に「裏」はあるのでしょうか?
あります。大ありです。
救いは決して安価なものではありません。
その値段は神の子の命です。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
(ヨハネ3:16)
この代価は神ご自身が支払って下さいました。
「神が御子の血であがない取られた神の教会」
(使徒20:28)
ですから人間はタダで救いを受け取ればいいのです。
これがキリスト教信仰の核心部分です。
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アッサリと「ありがとうございます」と言って、高価な救いを無料でいただきましょう。
今日のスタートはその決心で定まります。
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