今日のみ言葉【No.2019】(2019年 5月28日)「弟子の資格(1)」

2019年5月28日

だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(マルコ8:34)

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私の父は40代前半で糖尿病となり、医師から厳しい食事療法が言い渡されました。

家族の中で一人だけ減塩食プログラム。

試しに父が飲む減塩味噌汁を飲んでみましたが、濃い味に慣れている私は、一瞬、「これはお湯か?」かと思った程の薄味でした。

好きなアルコールも晩酌の焼酎一杯だけ。

旨いものを捨て、酒を捨て、何が人生かと思う人もおられるかもしれませんが、その意味は人生の後半になって明らかにされました。

元気だった同期の知り合いや仕事仲間が60代後半でバタバタと病気に倒れ、70代で亡くなる中、父は80歳まで車を運転し、ゴルフ場を歩き回る体力を保ち、ゴルフを楽しみました。

節制の賜物です。

医師の治療方針に従うことは好きなものを捨てなければならないことでしたが、それによって自分が考えていた以上の祝福を得たのです。

さて、イエス様という魂の医者は私たちに何を捨てろと言われるのでしょうか?

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今日の聖句は厳しい言葉です。

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」
(マルコ8:34)

イエス様はこの言葉を選ばれた弟子たちだけに話したのではなく、

「群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた」
(マルコ8:34)

とありますから、たとえ利己的な動機でキリストのもとに来た人でもその対象となります。

「利己的」と書きましたが、私たち人間は皆自分の利益のために動いているものです。

誰でも初めは、こうなりたい、問題を解決したい、幸せになりたい、と思って教会に来ます。

たとえば、心の持ち方を強くしたい、経済の問題を解決するヒントがないか探しに来た、結婚の出会いを求めて、クリスマスなので聖なる気分に浸りたいから等々、人には様々な動機があります。

特別に熱心で真面目そうな弟子たちでさえ、実はイエス様の名声を慕い、その力に預かろうとし、天下を取ったその時は、われが右大臣に左大臣に…、という考えでいたのです。

「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」
「十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した」
(マタイ20:21、24)

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「だれでもわたしについてきたいと思うなら」

つまり、キリストに従おうとするなら、

「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」

とせねばならないのです。

先ほど挙げた自分の願いを、一度捨てなければならないのですよ、とイエス様が事前に説明しておられるのです。

実はキリスト教とはこういうものなのです。

では、

「自分の考えを一旦は捨てなければならない。そうでないとキリストの弟子とはなれない」

となると、これはかなり厳しく、難しいことなのではないでしょうか?

一体どうやって自分の考えを捨てることができるのでしょうか?

この先のことは次回に譲ります。

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「私が捨てられないものは何か?」を考えつつ、捨てるための準備となる今日を生きて参りましょう。

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