今日のみ言葉【No.1610】(2017年 9月26日)「 くつを脱ぐ」

あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である
(ヨシュア記5:15)

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現在この「今日のみ言葉メール」は「救いのストーリーを時系列で語る」というシリーズに入って皆様にお届けしています。

聖書の各巻は必ずしも時間順に配置されてはいません。

たとえば、ミカはイザヤの約50年前に活躍した預言者でしたが、旧約聖書ではイザヤ書の方が先に出てきます。

ですから、ページをたどっていくたびに古い記事から新しい記事へと移っていくものだと思って読んでいると、途中で、「あれ?」と感じることが出てきます。

聖書には神の御心を伝えるための編集の意図があるのです。

背後にある大きな流れをつかみ、全体の中の一部分として今日あなたが読む聖書の箇所をとらえていくと理解に迷うことはありません。

モーセの後を継いで指導者となったヨシュアも「あれ?」と思う重大な体験をしました。

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「ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていた」
(ヨシュア記5:13)

とんでもない危機です。ヨシュアを殺そうと思ってきた人でしょうか?

しかしその人は

「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」
(ヨシュア記5:14)

と言い、

「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」
(ヨシュア記5:15)

と命じました。

日本語では「兜(かぶと)を脱ぐ」と言って降参する意味がありますが、イスラエルでくつを脱ぐということは「服従、ゆだねる」ということを意味します。

ヨシュアは言われた通りにしました。

その続きはありません。ヨシュア記第5章はそこで終わります。

神の使いは来た目的を果たしたからです。

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この場面は、イスラエルが約束の地カナンに入った直後の出来事です。

荒野で彼らを養ったマナも降るのが終わりました。

いよいよ彼らには土地が与えられ、その土地から作物の収穫が得られるからです。

その時が人生の分かれ目なのです。

神から与えられた祝福を自分勝手に使うか、神の祝福の基として生きるために使うか。

ギラリと光る抜身の剣を持った人がヨシュアの前に現れ、

「あなたが立っている所は聖なる所である」
(ヨシュア記5:15)

と言ったのは、この重大な決断を迫るためでした。

神が自分たちに土地という祝福を与えた目的を理解し、御心の通りに使えば、イスラエルの祝福となる運命は保証され、神によって繁栄が約束されます。

なぜなら、神の大きな目的は全世界を祝福することだからです。

そのためにイスラエルは祝福の発信基地として選ばれたのです。

「さあ、ヨシュアよ、どうする?」

ヨシュアはくつを脱ぎ、神にゆだねました。

自分の思いのままに神の祝福を使うのではなく、それを他者と分かち合い、その人がさらに次の祝福の基となる生き方をするという御心に従う生き方を彼は選んだのです。

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ヨシュアは先祖代々受け継がれた大きな流れの中で神の約束を理解し、現実の自分の一大事に過ちなく対処することができました。

私たちは抜身の剣を持った人に出会うことはないでしょうが、今日同じような場面に出会うかもしれません。

私たちの第一歩は、与えられた祝福を他者と分かち合うことです。

それはあなたがもらったギフトやプレゼントが全部没収されることではありません。

当然あなたのために使って良いのです。

お菓子でも野菜でも何でも構いません。それを無理することなく他者と分かち合い、祝福を共に味わうこと。

それが初めの一歩となるのではないでしょうか。

その一歩を踏み出した人には、神は祝福を与え、次の二歩目を示して下さることでしょう。

そうやって私たちはさらに大きな祝福を世にもたらす者として生かされていくのです。

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神の大きな目的の中で今日のひとつの出来事が起こされます。

祝福となる運命を選択し、その一事に励んで参りましょう。

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