今日のみ言葉【No.1949】(2019年 2月26日)「フェニキヤの女(4)」

2019年2月26日

「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」
(マルコ7:28)

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カランコロンの下駄の音の下りが印象的な「怪談牡丹燈籠(かいだんぼたんどうろう)」は、明治時代の三遊亭圓朝の代表作です。

「汝(おのれ)下手(シタデ)に出れば附上り、益々募る罵詈(ばり)暴行」

下手に徹することができない見せかけの謙遜はいつか化けの皮が剥がれます。

本当の謙遜に徹したのがスロ・フェニキアの女でした。

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イエス様が女に向けた、無視・拒絶・侮辱という同じ仕打ちを受けたら、多くの人は怒りを覚えるでしょう。

「こっちが下手に出ればいい気になって、何だその態度は!それでもキリストか!救い主か!」

私もその一人となることは間違いありません。

しかし、スロ・フェニキアの女は違った考えを持っていました。

娘を癒やしてもらいたい一心が彼女の頭を下げさせていた原動力となっていたことは疑いもありません。

と同時に、いえ、それ以上に、彼女は神の前での自分の位置、立場というものを正確に把握していたのです。

お願いなどできるものではない。目の前に出させてもらっているだけでも例外だ。癒しをいただける資格も何もない…。

つまり、神の恵みを受けるに値しない者で、その恵みを得るのに必要な功績も何も持たない自分であるという事を知っていたのです。

ですから「小犬」と言われて、「バカにされた」と気を悪くするどころか、彼女はその通りだという反応をしています。

「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」
(マルコ7:28)

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口語訳と新改訳聖書では28節は「でも」と訳され、新共同訳聖書では「しかし」と訳されているギリシャ語は「και」(カイ)です。

これは「しかし」とも訳されますが、第一義的には「そして」とか「だから」という意味になります。

ですから、素直にそちらの方を取れば、

「主よ、お言葉どおりです。だから、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」

と、女が小犬に徹しきっている姿が浮かび上がってきます。

ここまで自分を低くした態度こそ、イエス様が決して表面に出さずにはおいででしたが、心の奥深くでこの女にかけていた期待の成就だったのです。

この謙遜の極みが、スロ・フェニキアの女を最優等生にした答となりました。

真の謙遜を身にまとったこの女のあり方をイエス様がどれほど喜んだかは次回に譲ります。

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神の御前での自分の位置を知る今日として参りましょう。

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