今日のみ言葉【No.1934】(2019年 2月 4日)「聖書とは何か(1)」
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
(第2テモテ3:16)
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犬と猫はこう考えているというジョークをひとつ。
犬はこう考えています。
「一緒に住んでるこの人達は食事をくれるし、可愛がってくれるし、暖かくて清潔な家を与えてくれるし、撫でてくれるし、すごく良くしてくれる...この人達は神様に違いない!」
一方、猫はこう考えました。
「一緒に住んでるこの人達は食事をくれるし、可愛がってくれるし、暖かくて清潔な家を与えてくれるし、撫でてくれるし、すごく良くしてくれる...私が神様に違いない!」
なるほど、だから犬はああやって尻尾を振り、猫はああいう風に振る舞うのかもしれません!
聖書をどのように考えるかであなたの生き方も決まります。
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聖書自身が聖書をこのように証言しています。
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」
(第2テモテ3:16)
信仰を持たない人にとっても、聖書が全人類に残された遺産であり、古典中の古典であることは否定できません。
古典には古典の自己主張があります。
ですから、初めて聖書を読み始める人は、
「へ~、これって霊感を受けた書なのか」
という程度でも構いませんから、そのようにして書かれた本なのだなという心構えで読むのが良いのです。
しかし、現代の商業主義に利用できる面だけを取り上げたり、自分の好みに合ったところだけで聖書を読む人は多いのです。
これでは聖書を正しく読むことはできません。
聖書には聖書の主張があります。
それをありのまま受け取り、謙遜な態度で読んでいく時、聖書は初めて正しく理解することができるのです。
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英明さんのおばあちゃんは聖書一筋に生きた方でした。
旧満州の開拓団として中国に渡り、夫はそこで戦死し、命からがら日本に戻ってきました。
終戦後の窮乏時代、苦労に苦労を重ねましたが、彼女を支えたのは聖書の言葉でした。
毎日聖書を開くその姿を見て、
「おばあちゃんは勉強家なんだな」
と子供時代の英明さんは思っていたそうです。
おばあちゃんは難しい理論は話しませんでしたが、ただひとつ、
「いいか、英明、永遠の命はあるからな」
と孫に繰り返し語っていたそうです。
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さて、人生というドラマに
「そこで孫は小さい頃からクリスチャンとして活躍し…」
などという単純なストーリーはありません。
キリスト教とは縁遠い生活を送っていた彼でしたが、40代に入り、身体的にも、精神的にも、霊的にも飢え渇きを覚え、教会に行くようになりました
ちょうどその頃、おばあちゃんは人生の最後を迎え、天に凱旋していかれました。
不思議なもので、
「ああ、洗礼を受けるなら今だ」
という思いが心にスッと入ってきて、信仰を受け継ぐかのようにして彼はクリスチャンとなり、おばあちゃんと同じく聖書を熱心に読む生活を送っておられます。
聖書はひとりの人の人生を支え、そしてその命の言葉は次の世代へと確実にバトンタッチされていったのです。
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神の霊感を受けて書かれた聖書を今日も読み、そこから命をいただく一日として参りましょう。
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