今日のみ言葉(2012年1月13日)【No.217】
そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。」
(マタイ8:8)
——————
「冬の空のイメージは?」と尋ねられると、
太平洋側の人は「澄み切った青空」
日本海側の人は「雲が重くたれ込めた灰色の空」
と答えるのではないでしょうか?
雪国ではこの厚い雲の上に青空があるとわかっていても、現実は昼でも薄暗い日々が続きます。
山上の垂訓というイエス様の教えに感動し、神の喜びに満たされて山から下った群衆を待ち受けていたのは、この暗い現実です。
山へ行く前も帰ってからも、状況は何も変わっていませんでした。
病もそのまま、貧しさもそのまま…。
-*-*-*-*-*-*-
仏教から出た言葉で「四苦八苦」という語があります。
お釈迦様がこの世をご覧になられて、人間には基本的な四つの苦しみ「生老病死」があることを発見されました。
生きること、老いること、病むこと、そして死ぬことの苦しみです。
これに加えて人間関係にまつわる四つの苦しみがあります。
好きな人に会えない、嫌な人と出会う、求めても得られない、栄えたものは滅ぶ、という苦しみです。
4+4で四苦八苦です。
これらの苦しみがあることから目をそむけないで、
現実をそのまま明らかに見なさい
ということから、「あきらめ」、すなわち「諦観」が生まれました。
諦めるという真意は、何もかも放り出して無力感に浸ることではなく、今の現実をありのまま受け止めて生きるという強い生き方なのです。
-*-*-*-*-*-*-
キリスト教の場合は現実をありのまま受け止めることに加えて、その現実に介入して下さる神に期待を置きます。
神は生きて働いておられ、私たちを愛していて下さるがゆえに、人間の祈りに応えて行動して下さると信じるのです。
今日の聖句のローマの百卒長の言葉はその信仰を表しています。
「ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。」
たとえ現在の状況は非常に厳しいものであれ、人の力ではどうすることもできない状態であれ、神がひとたび、
「癒されよ」
「きよくなれ」
と言葉を発せられれば、そのお言葉通りになります。ですからお言葉だけで結構です、という信仰なのです。
百卒長はこの後、
「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。」
とイエス様から最高の賛辞を送られ、
「行け、あなたの信じたとおりになるように」
というお言葉をいただき、彼のしもべは癒されました。
-*-*-*-*-*-*-
私たちはここまでのレベルにまだ到達していないかもしれません。
しかし、私たちに与えられている信仰の量りに従って、現実の中で神に深い期待を寄せていこうではありませんか。
神様はその一歩を尊く受け止めて下さり、更に次の一歩、更に信仰の高嶺へと導いて下さいます。
-*-*-*-*-*-*-
神は今日もあなたの祈りを待っておられます。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません