今日のみ言葉(2012年1月14日)【No.218】
さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
(マタイ9:9)
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今日の聖句は、マタイ福音書を書いたマタイ自身が自分の召命の様子を書いた個所です。
ここに3つのポイントがあります。
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(1)すわっていた
彼は「収税所にすわっている」時にイエス様から声をかけられました。
「わたしに従ってきなさい」というイエス様の声を聞くのは、祈っている時や教会にいる時ばかりではないようです。
むしろ、普段の生活をしている真っ最中に神の召命をいただくことの方が多いかもしれません。
イエス様はいつもあなたの様子を見ておられ、最善の時に声をかけて下さるのです。
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(2)立ち上がった
マタイがすわっていたのは収税所で仕事をしていたからです。
すわるということは、昨日までの生活をそのまま続けるということです。
しかし彼は立ち上がりました。
従うと決めたからには、立ち上がらなければなりません。
いつまでも古い生活、この世のお付き合いに縛られていたら、
「ついて行きたいですけど、ダメです」
と、すわり続けてしまいます。
立ち上がる、イコール、従っていく、です。
「なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。」
(箴言6:9)
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(3)キリストの魅力
この記事をルカ福音書で見ると、
「すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。」
(ルカ5:28)
とあります。財産も住む家も何もかも捨ててイエス様について行ったのです。
彼は取税人として経済的には豊かでしたが、その代償として人々の蔑視という冷たい人間関係にさらされていました。
その自分に注がれるイエス様の愛の眼差しに、一切を支払ってでも得たいというキリストの価値と魅力を感じたのです。
「天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。」
(マタイ13:44)
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従うことは立ち上がることであり、一切を捨てることです。
しかし、立つどころではなく、今まで寝ていた人がすわれるまでになるには努力が必要です。
やっとすわれる程度に回復した人が立ち上がるには、言い様の無いほどのつらさを経なければなりません。
しかし、そのつらさをつらさと感じさせないほどの魅力と力がイエス様にはあるのです。
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まず神の愛に目をとめることから始めましょう。
そこから新たな人生がスタートします。
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