今日のみ言葉【No.1851】(2018年10月 4日)「 再臨(1)」

すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。
(第2テサロニケ1:6-7)

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キリスト教には「再臨(さいりん)」という聞き慣れない言葉があります。

英語で再臨とは何かと調べてみると、

“Second coming"(セカンド カミング)となっていました。

なんだ二度目に来ることか、と拍子抜けした覚えがあります。

救い主が2千年前に来た時のことを私たちはクリスマスとしてお祝いしますが、キリストはもう一度この世に帰って来られるのです。

それを再臨と言います。

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再臨は神の救いの計画の中では3番目の最終段階です。

エデンの園で最初の人間が神に背いたため、人の中に罪が入り込み、その結果として死がもたらされました。

死とは分離ですから、神と人とが霊的領域で分離されました。

つまり、人の魂は神から離れ、人間は神の存在がわからなくなり、それが現在でも続いています。

しかし大丈夫です。

第1段階の魂の救いは、私たちがイエス・キリストを信じることによって成され、生きている間に達成されます。

次に、人間の肉体は朽ちるものとなりました。

人を生かす霊魂と肉体が分離する時が地上の生涯の終わりで、私たちが「死」と呼ぶものです。

第2段階の肉体の救いは、残念ながら地上の生涯では成されません。

しかし大丈夫です。

復活の時に与えられる復活の体で成就します。

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そしてさらに、人間が罪を犯した結果、それは自然界にも及んだと聖書は知らせています。

美しく、調和がとれているように見える自然の中に、私たちは弱肉強食の現実を見ますし、災害や天変地異の恐怖にさらされています。

自然界はまだ救われていないのです。

しかし大丈夫です。

人間が救われることによって、その救いが自然界にも及ぶと聖書は約束しています。

「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる、……、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである」
(ローマ8:19、21)

これが救いの第3段階です。

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みんな救われ、バンザイバンザイ、めでたしめでたし…、と責任の追求をせず、丸く収めて終わりたがるのが日本人の心情なのではないでしょうか。

しかし、天地万物を創造された神は、私たち一人々々を人格を持った責任ある存在として見ています。

与えられた命をどう使ったか。

人生の精算の時があるというのです。

それが再臨の時です。

キリストが再び地上に来られる時は救いが完成するめでたい時ですが、と同時に、キリストは神の国の王として最後の審判のために来られます。

それが再臨の時です。

(以下次回に続きます…)

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キリストの再臨を待ち望みつつ、今日与えられた一歩を歩んで参りましょう。

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